第百五十七話 冬の星(二)
「そんな!」
後ろで声がした。
二人が振り返ると、そこには聖羅が立っていたのであった。
聖羅も駆け上がると紫野の横に手をついて、疾風に向かって懸命に言葉を掛け始めた。
「負けるな、疾風! 死んじゃだめだ!」
いつもの快活に日に焼けた肌は、今は土気色にくすんでいる。
閉じられたまぶたのまわりは黒ずんでいて、そこにたまった汗を、紫野は額に乗っていた手巾で無我夢中に拭き取ると、そのまま疾風の首に抱きついた。
「疾風……。聖羅もいる。目を開けて……死なないで。いやだ」
それを見た井蔵が飛んできて紫野の腕をつかんだ。
「だめだ! 紫野、離れろ。病が移っちまうぞ!」
だが紫野は疾風から離れるどころか、ますます強く抱きつき、
「いやだ! 疾風が死んだら俺も死ぬ!」
そう言って、わーわー泣き出した。
「作造、紫野を連れて帰ってくれ」
ついに強い力で紫野を疾風から引き離すと、井蔵は紫野を作造に託した。
「ほら、紫野。寺へ帰るんじゃ。ここで泣いておっても疾風はよくならん。和尚様も心配しとるで――」
「疾風! 疾風!」
それでも泣き叫ぶ紫野を、半ば強引に抱き上げると、作造は井蔵に頭を下げて出て行った。
「おまえも家へ帰れ」
井蔵は聖羅にもそう声を掛ける。
「大丈夫。疾風はきっとよくなる」
そして弱々しく微笑みかけた。
聖羅は唇をきゅっと結ぶと立ちあがり、「親父さん」と言った。
「知らせてほしいんだ。疾風が――よくなったら」
ああ、と言おうとした。
だが井蔵の口から声は漏れなかった。
その夜半。
井蔵はなおひとりで疾風の看病を続けている。
下がらない熱が呼吸を困難にし、疾風を苦しませているのだ。
(もうこれ以上――)と、思わず井蔵はこぶしを握る。
これ以上、疾風を苦しませないでくれという思いと、しかしこれ以上、大切な者を奪っていかないでくれという思いであった。
――井蔵さん。
その時、女の声がして、井蔵ははっと顔を上げた。
「いおり?!」
すると目の前に白い光りが集い、やがてそれは女の形を現した。
ふっくらとした頬に、長い黒髪……それは紛れもなく、いおりの立ち姿である。
「いおり! おめぇ、おめぇ疾風を……」
くだんの夜以来、いおりは時々井蔵の夢の中に現れては情を交わしていた。
だが今夜はそうではない。
ぼんやりとではあるが、目に見える形となって井蔵の前に立ったのである。
この瞬間、井蔵は、恐怖でも愛しさでもない、最初の夜いおりが言った「お役目」という言葉に体を貫かれ、悲痛な声を上げていた。
「おめぇの役目は、疾風を連れていくことだったのか?!」
だがいおりは、優しいまなざしで井蔵を見たまま――首を横に振った。