第百五十四話 まつの出産
その年の夏、雪の母まつに綾ねが生まれ、雪はお姉さんになった。
「小っさい」
疾風と聖羅と紫野は、寝かされた赤子をのぞき込み、興味深げに目を大きくする。
綾ねは甘ったるい乳の臭いをふわりとさせながら、小さな手を懸命に上下させていた。
そのたびに小猿のような顔がくしゃくしゃっとし、黒目がきらりと光る。
そしていきなり真っ赤になったかと思うと、大きなあくびをした。
「本当に、真っ赤だな」
疾風が感心したように言い、聖羅は思わず指を伸ばして赤子のこぶしをつつきながら、「小っさい」と繰り返した。
「あっ」
紫野は声を上げた。
綾ねがこぶしを開き、細い指をひらひらさせたのだ。そしていきなり聖羅の指をつかんだ。
「うおぅ」
聖羅も声を上げ、興奮気味の顔を雪に向ける。
「つかんでる。けっこう力が強いぞ」
その時、綾ねが喉の奥で声を立てた。
「聖羅、ほら。聖羅を見て笑ってる」
紫野の言葉に、雪も綾ねのぷっくりした頬をつつきながら、
「わあ、綾ねは聖羅が好きなのね。そう、よかったね」
と声を掛ける。
「聖羅、おまえの将来のお嫁さんだ。よかったな」
そう言って疾風がうふふと笑い、雪と紫野が顔を見合わせて聖羅を見ると、聖羅は口を尖らせ「雪より可愛いならな」と言いつつ、つかまれた自分の指を揺らし、
「まっ、いいか」
とつぶやいた。
「楽しそうだこと……」
まつは布団の上に身を起こし高香から椀を受け取ると、小さく頭を下げた。
椀の中は、高香が煎じた薬草である。
綾ねを生んで、体力がなくなっていたまつのためにと、たった今処方したものであった。
「すみませんねぇ、高香さん。本当に助かります。ありがとう」
相変わらず落ち着いた声で「いいえ」と言い首を横に振ると、高香は相手を安心させようと付け加えた。
「苦くて飲みにくいかもしれませんが、飲めばきっと元気が出ます。乳の出もよくなるはずです」
その言葉にまつは小娘のように頬を染め、瞳を伏せると急いで椀に口をつける――と同時に片手が椀からはずれ、胸元を触った。
突然、自分のしどけない格好に恥じ入る感情がまつを襲い、無意識のうちに身なりを整えていたのである。
本当に、こんなに近くで噂の高香と対面するとは思ってもいなかったことだ。
まつは薬草を飲みながら、ちらちらと高香を見ていた。
後ろでゆるく束ねられた高香の絹糸のような白い髪が、光を宿したままさらりと揺れる。
彫りの深い端正な顔立ちは、まるで異国の人間のようだ。
(――なんて美しいひとなんだろう。この方は、私たちと同じ人間なのだろうか)
高香は四人の方に顔を向け優しそうな微笑を浮かべていたが、その微笑にまつは体の芯が熱くなる思いで、ひとりうろたえはじめていた。