第百五十話 霞組、誕生
佐吉という男がいる。
権兵衛のひとり息子だ。
年は井蔵よりも少し下くらいなのだが、今まで嫁の一人も娶ったことはない。
実は権兵衛の妻つまり佐吉の母は、町人の娘であった。
佐吉はそのことを誇りにしており、華やかな町よりこんな田舎の村長を選んだ父とはあまり理解し合えなかったようである。
井蔵も二人が一緒にいるところをあまり見たことがないし、聞けば佐吉は、ほとんど町の方へ出て商いに熱を入れているということだった。
「百姓には田んぼと米がありゃええんじゃ」
そう言い張る権兵衛は、しかしそれでもひとり息子の佐吉が可愛いのだろう、結局好きにやらせている。
その佐吉、今は正月ということで戻っていた。
「いやあ、井蔵に疾風じゃないか。穏やかな、いい正月だねぇ」
がらりと障子を開け、その場に入ってきた佐吉は、機嫌よく二人に挨拶をする。
たしかに、よく晴れた、穏やかな正月である。
外からは子らの雪遊びの歓声が聞こえるし、その雪の下の地面をついばむスズメの鳴き声も聞こえてくる。
だが井蔵と疾風は、その風変わりな格好に目を見張り、言葉がない。
佐吉は、その太り気味の体躯に白地に赤や黄の大花を散らした着物をまとい、水色の派手な金襴の帯を締めているのだ。
町人髷を結った頭に丸くて二重顎の大きな顔――色だけは、奇妙に白い――が、赤い半襟の上にずんぐりと乗っている。
井蔵はすぐに切り替えて挨拶を返したが、疾風は相変わらずぽかんと口を開けたままだった。
その空気を察したのだろう。佐吉は成人男性のものとは思われぬ高い声で笑い、
「この衣装、変かね? これは今、町で流行りの旅役者から譲ってもらった着物なんだよ。いやなに、たいして綺麗な役者でもなくて、似合わないのを見ていると取り上げてやりたくなってね。もっと似合う若者に着せて舞わせてみたいと思ったのさ」
雪が溶け、春の息吹がめばえはじめた頃、井蔵は数名の男たちと、疾風と紫野、聖羅も伴って細魚村の警邏に訪れた。
井蔵たちの警邏によって、草路村は、多くの野菜や反物、果ては家畜なども報酬として得ている。
男たちの馬に荷車がついているのは帰りにそれらを運ぶためだが、今はそこに疾風たち三人が乗っていた。
草路村からは、ゆっくり行けば半日はかかる。
紫野と聖羅にとっては、初めての長旅であった。
最初は浮かれていた三人も、陽が落ちる頃には口数もすっかり減って、荷台の上で寒さに手をすり合わせていた。
尻も痛くなって、ついには荷台から降りて歩き出す。
村に着いた時は、さすがに万歳をした三人であった。
まずは挨拶に権兵衛の家を訪ねる。
「ほお、こまいのを連れてきたな」
権兵衛が嬉しそうに目を細める側で、興味深げに出てきた佐吉までもが喜んで手を打ったのには、井蔵も驚いた。
「こりゃ井蔵さん、なんて生き生きと機敏そうな子たちなんだろうねぇ。ははあ、若いとは素晴らしい。こりゃ、あんたたち大人の警固衆が、すっかりかすんで見えちまうじゃないか」
「それだ」
権兵衛がこぶしを打った。
「かすみ組だ。――疾風、おまえたち三人を『霞組』と命名してやろう。聞けば忍びの訓練もしているというじゃないか。忍びはおのが正体を、霞をまとうように隠さねばならん。どうだ、よいじゃろう?」
そして、機嫌よくかかかと笑った。