第百四十八話 逢瀬(二)
翌朝は大気が澄み、井蔵は昨夜の満たされた気分のまま外に出て、大きく伸びをした。
夜露を含んだ草が井蔵の足を濡らす。
井蔵は顔を洗おうと、裏手の林の中にある清水へ向かうつもりで行きかけて立ち止まった。
百合だ。
季節外れの山百合が一株、群れる萩の花陰で大輪の花を開いている。
「いおり……」
思わずそうつぶやくと、井蔵は山百合の花をじっと見た。
その凛としたそれでいて艶な姿に、生まれたままの姿のいおりを描き重ね、昨夜の熱い口づけを思う。
急に体が火照ってきたようで、井蔵は激しく頭を振った。
「何てぇ夢を見させやがる――いかん、わしは」
(だが昨夜、いおりは、来た。わしに会いに)
井蔵は山百合の側へ寄ると、腰を落としてその花弁に触れた。
しっとりとしたその感触。
だがその刹那、井蔵の脳裏に甦ったのは、いおりの最後に言った言葉だった。
――むごいもなにも。いおりにはお役目がございます。そのお役目が終わるまで、いおりは井蔵さんのお側を離れませぬ。
井蔵の目が鋭く細まり、その指は再び花弁をなぞった。
(いおりよ。おめぇの言う役目ってのは、いってぇ、何だ?)
百合は、井蔵に見つめられて恥らうように震えた。
その夜からたびたび、いおりは井蔵の夢に現れるようになった。
が、しかし、「これが夢か?」と思うほどにその逢瀬は生々しい。
激しく求め合い、果てるまで抱き合い、その感触、疲労感は極度に現実的だ。
――何も考えないで。いおりを抱いて……。
いおりがそう言うので井蔵は何も考えない。
だがある朝、疾風の言葉に井蔵は心底ぎくりとした。
「親父、最近眠れないのか? よくうなされてるみたいだ」
(わしは、うなされてるのか)
「それにさ、何だか誰かいるような気配がするんだ。親父は感じないか? ――そら、今ふっと違う匂いがした!」
(ずいぶんと勘がよくなりやがった。……許せよ、疾風。おめぇはまだ子供だから、こんなことは話せねぇ。――わしとしたことが、初めて秘密なんぞ持っちまったなぁ)
鼻を突き出してクンクンやっている疾風の側で、井蔵は頭をかきながら、言うべき言葉もなく苦笑していた。