第百四十四話 月夜話
夏も終わる頃、ようやく草路村を訪れた高香を、紫野はどれだけ嬉しい思いで迎えたことだろう。
ただそれは、いつものようにあまり表面には出なかった。
寺の門をくぐった高香に向かい、「高香!」と一言言っただけだ。
だがやはり、高香にはちゃんと伝わった。
高香は和尚に、開口一番、「来年からは、春から夏の終わりまでお世話になります」と挨拶をしたことだった。
和尚が歓迎したのは、言うまでもない。
その夜、紫野は自分の部屋に夜具を二つ敷き、いそいそと高香を迎え入れた。
大気が澄んだ夜で、月がきれいに見える。
二人は枕を並べて、お互いにっこりと笑い合った。
「きっとこの村に来てくれると思ってたんだ。ミョウジは、今年は無理なんじゃないかと言ったけど」
「私はこの一年、ずっと大和の国にいたのだよ。実友様が離してくださらなくてね。……だが夏の初めに、ついにみまかられた」
「みまか……?」
意味がわからず舌足らずに聞き返す紫野に、高香は静かに言う。
「仏になられたのだ」
気の早い松虫が庭で鈴の音を立てている。
青白い月が中空に浮かび、少しの間、静寂があたりをたゆたった。
「紫野……?」
もう眠ってしまったのだろうか。
庭側に寝ている紫野の顔は、高香からはよく見えない。
「……えらい人は仏になるんだ」
寝言のような小さな紫野のつぶやきが聞こえた。
高香は咄嗟に頭を振ると、
「そんなことはない。誰でも仏になれる――紫野、私も、おまえも」
「伊吹も?」
紫野の大きな眸がきらりと光ったようだった。
「伊吹も仏になれる?」
「――ああ」
高香は笑みつつ上を向いた。
「伊吹は仏になった」
まぶたを閉じた高香の横で、紫野の大きな安堵のため息がし、やはり同じように体を上に向け夜具を被りなおす音がする。
「……よかった」
すぐに柔らかい寝息が聞こえ出した。