第百三十五話 野武士の来襲(四)
疾風は、藤吉が三人の無事を確かめ、つゆのの無事を伝えるのを待って、井蔵に聞いた。
「あいつはいたかい?」
その一言に、井蔵と藤吉は思わず顔を見合わせる。
疾風は頬をこすりながら、
「こいつら、あいつの仲間だ。いおり姉を殺した……。野武士がこの家へ向かったって聞いた時、そう思ったんだ。そしたら、源平太も」
源平太とおさいも頷いた。
「間違いねぇ、あの時の男がいた。『よくもシゲジを殺してくれたな』、そう言って火をつけたんだ」
それまで、ただの野武士の襲撃だと思っていた二人はあっと叫んだ。
見る間に井蔵の顔が歪む。
あの雨の降りしきる谷の、まさに崖っぷちで見た二人の男の様子が、まざまざと浮かんできた。
追い詰められた二人の野武士は、体から滝のように雨水をしたたらせながら、互いの背を付け合って自分たちを囲む男たちに対峙していた。
後ろはすぐ切り立った崖である。
井蔵たちは山犬の如き臭覚で、ただちに二人を探し出してはいたが、相変わらず豪雨はやまない。
視界の悪さは最悪である。
井蔵はできるだけ動きを抑え、一撃で斬り込む機会を狙って二人をじっと見据えた。
二人ともまだ若く、一人は南蛮の腰巻のようなものを身につけ、顔中に髭をたくわえた四角い顔の大男、もう一人は左頬に傷のある細身の男で、茶筅髷を結い女物の着物をはおっている。
そんなふざけた格好をしていても、ともに剣の腕はありそうだと井蔵は見た。
双方じりっじりっと間を詰めつつ四半刻ほどそうしていたが、隙を見せない井蔵の冷徹な態度と、顔に容赦なく降りかかる豪雨に野武士二人は業を煮やしたのか、ついに罵り声を上げ刀をやたら振り回しつつ井蔵たちにかかって来た。
「ちくしょうめぇぇ!」
その時、刀を捨て二人の間に飛び込んだ井蔵は、大男の背中へ回るとしゃがみ込んだ。
自分たちを足場の悪い崖に追い詰めて落とそうとすることはあっても、敵が自ら崖ふちに立つはずはない――そう思っていた野武士は、この井蔵の動作に意表を突かれた。
井蔵は男の両足をがっしとつかみ、股の間に頭を入れると、鬼のような雄叫びを上げながらその体を持ち上げた。そしてそのまま後ろへ倒れ込むと、男の体だけが井蔵から離れ、谷底へ落ちていった。
井蔵も肩から上が崖から突き出していたが、ぬかるむ地面をしっかと捕らえ、機敏に起き上がる。
当然、後ろへ倒れても、自分は安全な距離を読んでいたのだ。
落ちていく大男を唖然と見つめ、もう一人の茶筅髷の男が刀を止めた。
それを見逃す市べぇではない。即座にその胸の真中を突いた。
「野郎!」
――カツーン!
だが市べぇの刀は、男が首からぶら下げていたらしい何かに当たり跳ね返された。
うっとよろめきつつ我に返った男は、ぎろりとひと睨みするとたちまち市べぇを斬り下げ、脱兎の如く駆け出してあっという間に林の中へ消えた。
「市!」
斬られた仲間を放ってまで男を追う決断はできない。
煙る雨の中、井蔵たちはなすすべなく立ちすくんだ。
(――そうか。あの時、取り逃がした……。なら、わしのせいだ)
同時にむらむらと湧きあがる怒りは、抑えようもない。