第百二十八話 薄氷(一)
その冬の間、次郎吉は、「紫野を俺の嫁にするんじゃ」とわめき、家の者を困らせた。
皆が、「紫野は男の子じゃ。おまえの嫁には無理じゃ」といくら言っても聞かず、終いには、
「紫野は女じゃ。おりゃ、見たんじゃ!」
と、泣き出す始末であった。
何を見たのか、と聞いてもそれは言おうとしない。
次郎吉は頭がおかしくなったと、皆思わざるを得なかった。
正月に茜が奉公先から帰ってきた。
「長吉、次郎吉、元気でやってた?」
そのおおらかな笑顔に、二人は思わず姉のふくよかな腰に飛びつくと、
「姉ちゃん!」
と声を上げる。
懐かしい、姉の匂いがした。
「ねえちゃん、俺……」
次郎吉が茜の耳元に口をつけ、こそこそとささやく。
茜は「えっ」という顔をし少し考えていたが、笑いながら次郎吉を見、「いいよ」と言った。
そそくさと離れていった次郎吉を目で追いながら、長吉が、
「あいつ、何て言ったんだ?」
と茜に聞く。
すると茜は両肩をすぼめた。
「あたしと一緒に、湯浴みしたいって」
長吉はたまらず言った。
「姉ちゃん、あいつ、おかしいんだ。紫野の体が姉ちゃんのと同じだって言うんだ」
「紫野が? だって、紫野は男の子でしょ」
長吉は思いきり頭を振った。
「次郎吉のやつ、紫野を嫁にすると言ってる。父ちゃんや母ちゃんがいくら言っても聞かないんだ」
茜の小さな目は、いよいよ真ん丸くなった。
「紫野を嫁に? 次郎吉が?」
長吉は頷き、
「だから姉ちゃんと湯浴みして、もう一回姉ちゃんと同じかどうか確かめる気なんだ」
疾風が次郎吉に「これからは皆で遊ぼう」と言ってくれたおかげで、秋以降、紫野は次郎吉の言いなりにされることはなくなったが、それでもあの時の赤鬼のような顔を思い出し、自分を見るちょっとした次郎吉の視線も気になった。
だが疾風と聖羅がいつもそれとなく間に入り、その視線をさえぎってくれる。
そうしているうちに雪が積もり、しぜん皆で会う機会も減っていった。
紫野も寺からは出なくなり、会いにやってくるのは疾風と聖羅ぐらいになっていた。
そんな小雪が舞うある日、寺に茜が訪ねてきた。
ちょうど、疾風と聖羅も来ていた時である。
茜は最初、久しぶりに会う疾風に驚いたのか、顔を赤くしてもじもじしていたが、やっと「元気そうね」と話しかけた。
そしてとたんに真剣な表情で紫野に向かい、言った。
「紫野、すぐうちに来ておくれ。次郎吉が死にかけてるの」
「えっ」
三人は一斉に声を上げた。
(――次郎吉が? 死にかけているだって?)
「なぜ……」
思わず聖羅が口走る。
(――紫野に会うための嘘じゃないか?)
おそらく、三人ともそう思ったろう。
だが茜は目に涙をためて、懇願した。
「おととい、池の上の氷を渡ろうとして水に落ちたの。高い熱が出て……もう意識もない。ただあんたの名を呼んでるの。紫野って」
その時、紫野は真っ青な顔で立ち上がると、
「嫌だ!」
と大声で叫び、奥へ走り入ってしまった。