第百十八話 父と息子
昼間の様子が頭にこびりついて離れず、疾風は不愉快だった。
藁の上で抱き合っていた二人、「疾風?」と言った次郎吉の寝ぼけまなこや、こっちを見ようともしなかった紫野の様子を思い出してはいらついていた。
あの後、紫野は無言で着物を脱ぐと次郎吉につき返し、走って小屋を出ていったし、次郎吉はそれを手に、えへえへと頭をかきながら疾風に愛想笑いをするだけだった。
「なんだい。あんな女の着物なんか着て……」
何となく仲間はずれにされたような気分でひとりごちながら家に入った疾風は、井蔵が天井を見上げながら部屋の真中にどっかとあぐらをかいているのを見て、はたと足を止めた。
「と、父ちゃん……?」
井蔵が顔を向ける。
「おう、疾風か」
「父ちゃん、都に行ったんじゃ」
井蔵は頭をかき、
「うーむ、そうなんだがなぁ……」
疾風は井蔵の側へ駆け寄ると父を見上げ、
「かえでは見つかったのか?」
と聞いた。
すると、井蔵は深い瞳で疾風の顔をのぞき込み、
「それがなぁ……、かえでの狂言じゃった」
とうめくように言い、すぐに「ところで、疾風」と話題を変えた。
「もしも……もしもなぁ、今、母ちゃんができたら、おめぇ、どうだ?」
いつになく歯切れが悪い。
「どうだって言われても――そんな話があるのか」
驚く疾風に、井蔵はまた頭をかくと言った。
「源平太に、いおりを嫁にもらってくれとせがまれちまった。……どうしたもんかなぁ」
何という日だろう!
疾風の腹の中で胃袋がでんぐり返り、倒れそうになった。
「でも、いおり姉は! ……いおり姉は俺を抱き締めてくれたんだ!」
それを聞いた井蔵の顔が困ったようになり、そして何とも言えず優しくなる。
「疾風……女ってぇのはな、ちと変わってるんだ。一筋縄ではいかねぇのよ。むろん、いおりはおめぇのことが好きなんだろうよ。だから、おめぇの母ちゃんになりたいのさ……」
「母ちゃんに……?」
――そうなんだろうか。あれは、そういう意味だったんだろうか。
「でも、俺……」
疾風は父の前で珍しくもじもじとした。
「俺、いおり姉を守るって、みんなの前で言っちゃったんだ……だって藤吉兄いが、いおり姉は俺のことを待ってるんだって」
しょんぼりと下を向いた息子の肩を、井蔵はポンポンと叩き、「それでいいじゃねぇか」と言った。
「守ってくれ。いおりはやっぱりおめぇを待てずに、しょうがなくおめぇの親父と一緒になるって決めたのよ。わしはすぐに年をとっていおりを守れなくなる。だから、おめぇがいおりをしっかり守ってやれ」
疾風は顔を上げた。
その瞳が輝いているのを見た井蔵は、笑みながら息子の頬を軽く撫でた。