第百十七話 河童の子分(四)
次郎吉の手が、紫野の腰から背中に回り、それにぐっと力が込められた。
「!」
「じっとしてろよ」
抱き寄せられ、紫野の顔は次郎吉の首の下あたりに埋まった。
明らかに紫野は動揺した。
こんな風に他人と密着したこともなければ、顔が埋もれるほど抱き締められたこともない。
「い、いやだ…」
だがいよいよ次郎吉は体を寄せてくる。
「ばかやろう、ふうふはこうするんだ」
次郎吉のうわずった声があまりにも耳元でしたので、紫野は本当に驚いた。思わず、
「はなして」
と声を出した。
だが相手は、
「だめだ。じっとしてろ」
そう言いつつ、ますます腕に力を込め、抱き締めてきた。
だがいつものように抵抗をあきらめた紫野が仕方なくじっとしていると、果たして次郎吉の満足している様子が伝わってきた。
「むう……ええ感じじゃ」
抵抗さえしなければ、次郎吉には勝手に浸って喜ぶという癖がある。
もうじき離してくれるだろう、という思いが、やっと紫野を落ち着かせた。
ところが、である。
次郎吉は、紫野を強く抱き締めたままいびきをかきだしたのだ。
腕を振りほどこうにも、動けない。
――どうしよう。
情けない気持ちで紫野がそう思った時、突然戸口が開く音がした。
「おい、次郎吉、紫野。ここにいるのか?」
――疾風だ!
その瞬間、さっきまで誰かに助けを求めたい気持ちだった紫野は、本能的に声を出すのをためらった。
それどころか、むしろ見られたくないことを見つかったような焦りの気持ちに、ますます身は硬くなった。
だが疾風は、次郎吉のいびきを聞き逃さず、まっすぐに近寄るとさっとむしろを取った。
咄嗟に目をつむった紫野の耳に、疾風の唖然とした声が響く。
「何をやってるんだ?」
次郎吉ももういびきはかいていない。
口の端からよだれを垂らしたまま、小さな両目をしばたかせている。
むっくりと起き上がり、「疾風?」と言った。