第百十三話 萩の家
今までなら、孫平や源平太が「井蔵をいおりの伴侶に」とは無論考えることもなかったし、また快く認めるということも、しがたかった。
だが、実際いおりはもう何年もあらゆる縁談を断ってきた。
意外に強情な娘なのだ。
一度「いやじゃ」と言えば、てこでも動かぬ。
ある時など、謀って無理矢理嫁がせようとしたら、なんと舌を噛み切ろうとした。
それ以来、孫平も源平太も無理強いはやめたのだった。
気づけばもう十九、花の盛りを過ぎかけている。
一方、草路村の警固衆の頭である井蔵は、いおりとは年が離れすぎているとはいえ、村人からの評判もよく信頼も厚い。
――井蔵ならば。
と思わせることは、存外、容易だったかも知れぬ。
源平太が、かえでの提案を聞いて半日もたたぬうちに「よかろう」と認めたことに、かえでとしてはいささか落胆せざるを得ない。
――こんなことなら。
唇をかむ癖が出た。
――こんなことなら、あたしが代わりに嫁に行くなんて、言わなくてもよかった。
あの水車小屋でいおりを待つ間、井蔵に言われた一言が、今かえでの胸を占めていた。
「かえで、おめぇ自分のことはいいのか。藤吉は、おめぇに気があるんだぞ」
かえではあの後、藤吉の顔がまともに見られなかったのだ。
――いつも自分を子供扱いしていた藤吉が?
そう思うと、自分の軽率さを悔いるとともに、藤吉がなぜもっと早く自分に気持ちを伝えてくれなかったかということに腹が立った。
孫平も源平太も、早速かえでに婿を捜し始めている。
――どうでもいい。あたしは藤吉さんなんか好きじゃない。……あんな愚図な男。
ポロリと、涙が落ちた。
まさに青天の霹靂である。
我が家に帰り着いた井蔵は、ごろりと横になり天井を見つめた。
「疾風のやつ、何と言うだろうなぁ」
源平太たちは、かえでの話を聞いただけで、勝手に井蔵をいおりの婿にと決めてしまった。
井蔵もなぜかはっきりと断らず、生半可な返事を返してしまったのだが……。
この年でまた嫁をもらうことになるとは。
――きぬよ、すまん。怒らんでくれ。
複雑な心境である。
自分でも自分の心がわからなくなっていた。
無論、いおりが嫌いなわけではない。むしろ、村一番の器量よしといわれる女を嫁にするのだ。幸運というほかはない。
だが疾風に一言も言わず、話をすすめるわけにはいかぬ。
それに、と思った。
――それに、いきなりいおりが家に来たら。
慌てて飛び起き、狭い家の中を見渡す。そしてため息をついた。
――だめだ、こんなひどい家にあの人をいれるわけにはいかねぇ。
この家で自慢できるのは、家の周りを覆う萩の花だけだ。
即座に井蔵は、いおりのために部屋をひとつ増やすことを決めた。