【第肆編】 東京ラブホストーリー
東京とは多様性の街である。
渋谷、原宿、新宿、池袋、そして秋葉原、ポップカルチャーだけではない、様々な日本独自の文化がここに集結し、ここから世界へ向けて発信されているのだ。
日本だけでなく、世界中から、この伝統と最先端が同居する都市に、その文化を求めて人々が吸い寄せられてくるのだ。
そして、名賀翁奸智もまた、田舎町から吸い寄せられるように東京へと上京してきた一人である。
地元の大学を出たは良いが、地元の企業に就職するも、古臭い慣習が合わず、上司を詰るようにして、辞表を叩き付けた。
親にはどうするのと詰め寄られたが、辞めてしまったものはどうしようもない。再就職する宛てなんてなく、旅行気分で、学生の頃から一度は行ってみたかった東京へと上京してきたのだ。
最初の数日は東京観光を決め込んだ。渋谷のスクランブル交差点の人混みに驚き、原宿では溢れかえる女たちの臭いにむせかえり、新宿では摩天楼の高さに目を白黒させ、池袋では、怪しい格好をしたコスプレーヤーの集団や、何を言っているのか分からない中華系の集団に、東京の多様性を感じた。そして秋葉原では、日本の最先端技術とポップカルチャーの海に溺れた。
一通り巡った名賀翁奸智は、東京の多様性とそのカオスに中てられ、東京という巨大な存在の怖さを思い知ったのだった。
しかし、このまま田舎に引き下がっても、伝統に縛られた慣習の中で、一生を台無しにしてしまう。そんなことはしたくはなかった。
だから、東京にいられる間に職を探した。バイトでも何でも良かった。とにかく、東京に居座り続けられればそれで良かった。
そして見付けたのが、ラブホの仕事だ。新宿と大久保の間、山手線からは少し外れた辺りだが、ホテル街にある一軒のラブホで求人を見付けたので、コンビニで履歴書を買って、ファストフードで記入すると、飛び込みで応募した。
採用されるとは思わなかった。
ラブホとは言え東京の会社だ。こんな田舎者を、ましてや飛び込みの応募など、箸にも棒にもかからないと思っていた。
名賀翁奸智はすぐに働き始めた。
住む場所も用意してもらった。
漫喫や、カプセルホテルを転々としていた彼は、漸く安住の地を確保出来た。
彼が最初に覚えたのは、部屋の清掃だ。
当然ラブホでは事がなされるため、あちこち汚れが目立つのだ。通常のホテルであればベッドメイキングやアメニティの補充と、簡単な清掃で済む話なのだろうが、まあ、あり得ない場所に、あり得ない汚れが飛び散っていたりもするし、独特の匂いも充満していたりするので、それをすべて除去するため、かなり念入りな清掃をしなければならないのだ。
大学では、オフィスなどの清掃バイトをやっていた名賀翁奸智は、その点、慣れたものだったので、苦もなく熟すことは出来た。清掃用具もプロ仕様の道具が揃っていたので、そこはなにも問題なかったし、むしろ田舎の清掃業者よりも良いものが揃っていて、ホテルで使用するのに特化したものも多数揃っていたので、比較的やりやすかった。
業務内容には、慣習的な側面も多々あったし、理不尽なものも散見されたが、彼にとっては生きる糧を得るために、我慢しなければならないことなので、グッと腹に仕舞い込み、淡々と業務を熟していくのだった。
そんなこともあってか、彼は社員たちに気に入られた。
呑みに誘われることもあったし、食事を奢ってもらうこともあった。
バイトというか、パートのおばさんたちも彼を気に入ってくれて、娘婿になってくれなんていう、冗談ともとれないような誘いまで受けた。
名賀翁奸智の東京生活はこうして順調に滑り出した。
だが、ラブホで社員として働くことになったことを、両親は快く思ってはいなかった。
「どこに勤め先を決めたんだ。」
電話口の父親は少し苛つくような口調で詰め寄ってきた。
「大山興業株式会社ってとこだよ。」
奸智はすっとぼけたように応える。
「どんな仕事をするんだ。」
「色々だよ。社員だからね。色んなことをするよ。」
「それじゃ分からんだろ。具体的にはどんなことをするんだ、業態とか、業種とか、そんなことも言えんのか。」
父親の苛つきはヒートアップしていく。
「ホテル業だよ。接客から清掃業務まで、何でもやるんだよ。」
奸智は渋々といった感じで答える。
「ホテル業ならホテル業と、最初からそう言わんか。……なんだ?泊まりに行く?……母さんがそれなら泊まりに行きたいと言っとるが。」
「来なくて良いよ。」
「何を言っとるんだ。母さんはお前の心配をして言ってるんだぞ。」
「だから、何の心配もないって。」
「それに東京見物もしたいんだそうだ。お前が案内してやれんのか。」
「案内するのは別に構わないけど、仕事場には来なくて良いから。」
「そこまで、頑ななのは、何か後ろめたい会社なのか。」
「そんなんじゃないよ。ただ、恥ずかしいだろ。親が職場に来るなんて、学校の授業参観じゃないんだから。」
奸智はそう言って、必死に誤魔化そうとしていたが、あまりにも頑なに挨拶もしなきゃならないというので、とうとう、黙っていられなくなり、ラブホであることを伝えたのだ。
父親は、言葉を失っていたが、何かを呑み込むかのように、大きく深呼吸すると、何かを絞り出すかのように口を開いた。
「お前が選んだ道だ。職に貴賤はない。お前がそれで良いというなら、その道で頑張りなさい。ただし、これだけは覚えておけ。人様に顔向け出来ないようなことはするな。それと、辛くなったらいつでも帰ってこい。母さんが泣く顔を私は見たくないからな。」
父親のその言葉に奸智は何も言えなかった。
ただ頭ごなしにどやしつけられる覚悟をしていたからだ。
電話を切ってから、奸智は想わず涙を流した。好き勝手に生きてきた自分を、両親はそこまで気にしていたのかと思うと、申し訳なさと、情けなさが、綯い交ぜになって、感情が渦を巻いていた。
翌日から、名賀翁奸智は一層仕事に身を入れた。
親に心配をかけまいとする気持ちなんて、今まで湧き上がることなんてまるでなかったのに、今は、仕事に打ち込むことが、親孝行になるんだと考えていたのだ。
そんな自分におかしさを覚えながらも、仕事に打ち込むのだった。
こうして、彼は、仕事に打ち込み、同僚にも受け入れられた。そして、徐々に仕事を任されるようになり、今まででは考えられない程、何事にも真面目に取り組むようになっていったのだ。
そうして、数ヶ月が過ぎた。
名賀翁奸智は仕事にも慣れ、父親に伝えていたように、清掃業務だけでなく、様々な仕事を任せてもらえるようになっていた。
最近はラブホと言っても、ただ事をなすだけではない。エンタメの要素も多く取り入れ、他のホテルとの差別化を図り、生き残りをかけた戦略を日々練っているのだ。
その最たるものが、食事だ。以前は食事が出るなんてこともなかったし、出たとしても、出前をそのまま出すのが関の山だった。しかし、最近では本格的な厨房設備を備え、そこら辺のレストランチェーン店にも引けを取らないクォリティの食事を提供している。
また、コスプレ衣装の貸し出しをしたり、エステティシャンの派遣をしたりするなど、考え得る様々なサービスを提供している。
名賀翁奸智も、厨房で下拵えの手伝いをしたり、コスプレ衣装のクリーニング作業を手伝ったりと、その仕事は多岐に亘っていった。
「名賀翁君、ウチももっと色々とサービスを考えていかなきゃいけないと思うの。今の時代、ライバルは同業者だけじゃないから。ビジホも、高級ホテルももちろんだけど、自宅だって、ウチのライバルになっているんだから。」
奸智を指導してくれるマネージャーの愛奏瑠歌に言われた。
とはいえ、業界のことなどまったく分からない奸智にとって、その言葉の意味するところを察することは出来なかった。まるで小学生に大学生が読むような論文の話をされたようなものである。
「正直、自分には良く分かりません。日々の仕事を精一杯熟すのがやっとですし、慣れ始めた今が一番気の抜けやすい時期だと思うので、目の前の仕事に集中しないととは思いますが、業界のこととなったら、私のようなド素人が目を向けるような話ではないと思います。言うなれば、初心者が達人相手に試合を挑むようなものですから。」
奸智は素直な気持ちを愛奏に伝えた。
「ド素人なんて謙遜することはないわ。業界のことが見えてないからこそ、見えているものもあるものよ。あなたなら、このラブホという施設で何をしたい?どんなことを期待する?こんなサービスがあったら良いなとか、こういう設備が欲しいなとか、そういった些細な希望で良いのよ。そういうのはないの?」
愛奏が食い下がるように尋ねてくる。
「私の希望ですか。私の希望は普通に生活が出来る給料がいただけて、両親を安心させてやれればそれで充分です。」
「あら、欲の無い答えね。でも、そういうのが今の若い子の本音なのかしら。」
「さあ、自分が若者を代弁してるとは思いませんが。」
「良いのよ。あなたの意見はあなたの意見。それが若者を代表しているかどうかは、重要じゃないわ。重要なのは、あなたのその年齢で出てきた意見だってこと。私の歳じゃ出てこないから。」
「そんなもんなんですか。」
「そんなものなのよ。」
「自分には良く分かりません。」
名賀翁奸智は愛奏瑠歌の言ってることが半分も分からなかった。
だが、彼女が自分の意見を尊重してくれていることだけは分かった。
「ただ、これだけは覚えておいて。今は何も思い浮かばなくて、何も言えなくても、あなたの中にああしたい、こうしたいって希望が必ずあるはずなの。その心の声を聞いてあげて。きっと素晴らしいことを教えてくれるわよ。
私は、そのあなたの心の声を知るのを楽しみにしているわ。」
愛奏瑠歌はそう言い残して、自分の仕事へと戻っていった。
名賀翁奸智はその場に取り残され、愛奏の言わんとしていることを理解しようと、その言葉を、何度も何度も、繰り返し繰り返し、思い返していた。
こんな風にして、創意工夫を日々おこなっているこの会社だが、ラブホという業態柄、色んな人物が出入りする。
その筋の者は良く来るが、愛奏マネージャーに言わせると、必要経費なのだそうだ。ただ、最近は法律が厳しくなったせいか、悪で悪を駆逐するのが難しくなり、何かトラブルが発生したら、即警察というのが当たり前で、先日も料金が払えない客を部屋に閉じ込めたら、備品が壊され、即警察に突き出したということもあった。弁償金は馴染みの弁護士さんが回収の手続きをしてくれているらしい。
もう、その筋の者に頼る時代ではなくなったということだ。
そんなこともあってか、切った張ったの刃傷沙汰は殆ど無かったが、唯一、羽駕事件という刃傷沙汰があった。
その日は遅番で、フロントを担当するのは羽駕というアラフォーのベテランパートさんだった。フロント業務と言っても、今はチェックインもチェックアウトも自動だし、やることと言えば、客の監視、入出管理だ。どの部屋を何時から何時まで使ったか監視し、掃除担当者に、開いた部屋のルームメイキングの発注をする。
フロントは、言わばその日の司令塔である。
その時は週のど真ん中と言うこともあったし、終電にはまだまだ時間があったので、混み合うという程でもなく、厨房も数食軽食を出したぐらいで、皆暇を持て余していた。だらけていたと言っても良い。本番は終電が無くなってからが勝負なので、嵐の前の静けさ、英気を養う時間帯でもあった。
そんな、マッタリとした時間が流れていた矢先、突然従業員待機室に非常ベルが鳴り響いた。
「火事か!火元はどこだ!」
誰かが声を上げて、館内の監視モニターが並ぶフロントへと駆けていった。
「皆、指示があるまで、ここで待機だ。無闇に動くと煙に巻き込まれるからな。」
社員の一人が声をかけ、皆を落ち着かせた。
「お客さんはどうするんですか。」
名賀翁奸智は頭に浮かんだ疑問を告げる。
「まずは、状況確認が先だ。もし、館内にも非常ベルが鳴っていたら、客室のオートロックは解除されて、非常口へ誘導されるはずだからな。」
社員が落ち着いた声で応える。
「そうでしたね。」
奸智がそう応えた時、フロントへ確認に行っていた社員が戻ってきた。
「どうだった。火事か。」
「いや、違う。羽駕さんだよ。羽駕さんが客室で暴れてる。509号室だ。」
「おい、名賀翁と海上、お前等先に行って彼女を止めてこい。」
「はい、分かりました。」
リーダー格の社員が奸智と海上という男に指示をくれた。
二人は顔を見合わせると、一目散に509号室へと向かった。
509号室に到着すると、中では男が羽駕に馬乗りになられて、何か鈍器のような物で殴られていて、その傍では、素っ裸の若い女性が肌を隠すことも忘れて立ち尽くしていた。
それを見た二人は、まず、名賀翁が羽駕を後ろから羽交い締めにし、海上が鈍器を取り上げた。
馬乗りになられていた男は、ぐったりとして息もなく、頭の形は見るも無惨で、血の海が出来ていた。海上が男の脈を確認するが、名賀翁に向かって首を横に振った。
「羽駕さん!羽駕さん!何をしてるんですか!相手はお客さんですよ!」
名賀翁は、何も持っていない手を何度も何度も振り下ろしている羽駕に向かって、声を張り上げる。
だが、羽駕の目は焦点があっておらず、涙を流しながら手を振り下ろす動作を続けていた。しかたなく、名賀翁は、腕を押さえつけたまま、前に回り羽駕の頬をビンタした。
すると彼女は漸く我に返り、「奸智くん」と言うと、泣き叫ぶように名賀翁の胸に顔を埋め、泣きじゃくった。
「その人たち、夫婦なの。」
その時、漸く我に返ったのか、裸の女が口を開いた。
「夫婦?……ですか?」
名賀翁と海上は口を揃えたように聞き返す。
「そうよ。その男の人はさっきそこで知り合ったの。そしてここに来たら、突然彼女が現れて、これよ。もうこっちはやられ損よ。」
女はおそらく立ちんぼ。この辺では良く見る、いわゆる違法風俗嬢だ。病気持ちも多く、普通は敬遠するのだが、どうやら、羽駕さんの旦那さんは手を出してしまったようだ。
「すみませんが、今警察を呼んでいますので、ここに居てくださいね。何が起こったのか供述してもらいますから。」
海上が女に言う。
「イヤよ。警察なんて。なんとかそっちで誤魔化しておいてくれない。」
「ダメですね。すべて防犯カメラが撮影していますので、今ここを立ち去っても、いずれ警察に捕まりますよ。ましてや、ここから居なくなれば、殺人教唆の疑いで、あなたも逮捕される可能性もある。おとなしく、待っていただいた方が身のためかと思いますよ。」
海上はそう言い含める。
「もう、面倒臭いわね。分かったわよ。ところで服を着ても良いかしら。」
「もちろんどうぞ。ただし、変なことをしたら、すぐに対処しますからね。」
「分かったわよ。何もしないわよ。」
女はそうブツクサ言いながら、ベッドの周りに脱ぎ捨てられていた、下着を拾って身に着け始めた。
その後、社員が駆け付け、警察が到着すると、実況見分や事情聴取をされた。羽駕さんは逮捕され、警察に連れて行かれ、旦那さんも担架に乗せられ司法解剖のために警察へと運ばれていった。女はやはり立ちんぼだったらしく、売春勧誘の容疑でやはり警察に連れて行かれた。
名賀翁奸智は、後で知った話だが、フロント業務をしていた羽駕さんは、防犯カメラに映った旦那さんを見て、逆上したらしい。館内を映していた防犯カメラには、鬼の形相で509号室へ向かう彼女の姿がバッチリ映っていたのだ。
まあ、そんな大事もあるラブホの仕事だが、概ね平和な職場である。
名賀翁奸智は東京での生活をこうして熟していくのだった。
<完>




