初めて会話をした、五月
高校生になって給食がなくなった。白衣を着て給食をよそう面倒な当番が回ってくることはなくなったし、メニューによって出てくる嫌いな食べ物を無理に食べる必要もなくなった。ただ学食なんてものはこの学校にはないので、温かい昼ご飯を食べることがなくなったのは残念かもしれない。
学食も購買もないが、昼休みになると近所のパン屋がパンを売りに来る。「毎日お弁当作るのって大変なのよー」と言う母親がお弁当を作ってくれるのは週に三回程。残り二日、奏汰はそのパン屋のパンを昼食用のお小遣いで買っている。
「奏汰! パン買い行くぞー!」
「いま行くって!」
友達の橋詰に大声で呼ばれて、大声で返事をした。
しかしいつもリュックの上の方に入れているはずの財布が見つからず、腕を突っ込み探すがなかなか見つからない。
「先行くからなっ!」
「早いって! あ、あった!」
財布はなにかの弾みで底へと潜っていったらしく教科書たちの下敷きになっていた。
ようやく引っ張り出して顔を上げると、先程まで橋詰がいた所でクラスメイトの女子が他クラスの女子と話をしている。どうやらしびれを切らして本当に先に行ってしまったらしい。
「あいつ、ほんとに置いて行ったな!? ったく、……?」
視線の先で、美雨がグループごと机を集め始めたクラスメイトたちを困った顔で見回しながら黒板前に立ち尽くしていた。口元が開けて閉じてを何度も繰り返している。
四月のあの日から、つい彼女を目で追ってしまう。休み時間だけじゃなく、授業中もふと顔が向く。時々(なんだ俺! 気持ち悪いな!)と我に返るのだけど、それでも追いかけることをやめられない。
(なんか持ってる……ノートか?)
美雨は世界史のノートを何冊か抱え込んでいる。そういえば昼前の世界史の授業終わりに、先生がノートを提出するようにとか言っていたような気がするが、チャイムと被って聞こえた人の方が少ないだろう。
奏汰の足は自然と動いていた。
「葉山さん!」
財布は制服の尻ポケットにねじ込み、机の上に出したままだったノートを持って声をかける。
ゆっくりと美雨が振り向き、たぶんきっと初めて、ちゃんと目が合った。
「青野、君」
名前覚えてくれたんだ。そんなことが、嬉しかった。
「ノート提出だよね?」
「え、あ、はい」
「なあ! 世界史のノート集めるって!」
「えっ」
奏汰の声はよく通る。
どんどん集まってくるノートを受け取っては教壇の上に積んだ。流れ作業をする隣で美雨が目を白黒させていて、なんだか面白かった。
「疲れたー!」
集めたノートを職員室へ運ぶところまで手伝い、昼休みは半分終わった。
教室を出る直前にようやく戻って来た薄情な橋詰に「なんでもいいから俺のパンも買ってきて!」と頼んだが、行ってくれただろうか。
「結構時間使ったなー。早く教室戻ってお昼食べないと間に合わないね」
「は、はい! じゃなくて、あ、あのっ!」
「うん?」
「あの、あ、ありがとうございました! 大きい声を出すのが苦手で……どうしようと思ってたので、手伝ってくれて助かりました」
ぺこりとお辞儀をして、頭を上げた美雨が小さな微笑みを浮かべている。それは奏汰があの日見たものより固く余所行きのものだったが、初めて奏汰に向けられたものに間違いはない。
「ど、どういたしまして……」
絞り出した返事は、自分でもビックリするくらい小さな声だった。




