寮の前で
夕方の空気は、昼の熱をまだ引きずっていた。
石畳がほんのりと温かく、靴底越しに伝わってくる。
魔術科の訓練を終えたばかりで、
魔力はまだ高ぶったまま、呼吸も深い。
週末。
この言葉を、身体が覚えてしまった。
――週末なら、セナのそばで眠れる。
それだけで、ここまで来られる。
それだけで、一週間を耐えられる。
寮の前。
決まった位置。
人の流れを邪魔しない壁際。
待つ、という行為は嫌いじゃない。
むしろ、慣れている。
セナを待つ時間だけは。
(……来る)
足音が混じり始めた。
複数。
変成科の帰りだ。
視線を上げるより先に、胸が反応する。
あの気配。
笑い声。
軽い。
弾んでいる。
――ああ。
視界に入った瞬間、
喉の奥が、ひくりと鳴った。
また、あいつか。
セナのすぐ横。
距離が、近い。
肩が触れるほど。
楽しそうに何か話している。
周囲もそれを、当たり前のように受け入れている。
(……出掛ける?)
聞こえてきた単語に、思考が止まる。
また?
また、こいつと?
週末。
俺の時間。
俺が取り戻したはずの、時間。
なのに。
胸の奥に、黒いものが沈んでいく。
視線に気づいたのか、
セナがこちらを向いた。
その瞬間だけ、世界が整う。
ぱっと明るくなる顔。
迷いのない足取り。
「ラウル、待たせちゃった?」
その声。
その呼び方。
――俺の。
言葉は返さなかった。
返せなかった。
代わりに、手を差し出す。
確認じゃない。
提案でもない。
当然の動作。
一瞬も躊躇せず、
セナの手が、その上に重なった。
温度。
柔らかさ。
確かに、俺のもの。
……はずだった。
背後で、空気が止まる。
あいつの視線が、刺さる。
わかっている。
見ているのは、俺だ。
それでも、構わない。
俺は、あいつを見る。
視線を合わせる。
逃げない。
――俺のだ。
そう言ってやりたかった。
言葉にしなくても、
この距離、この動作が、答えだ。
セナに視線を戻し、
意識して、笑った。
「行こうか」
静かな声。
揺れはない。
セナが頷く。
当たり前のように。
「みんな、また明日ね」
軽く手を振って、
こちらへ戻ってくる。
その瞬間、
背後の世界が、完全に切り離された。
手を引いて、寮へ向かう。
歩きながら、
胸の奥で、何かが音を立てて固まっていく。
(……覚えた)
週末。
眠れる。
取り戻せる。
でも。
奪おうとする存在がいる。
セナは、気づいていない。
それが、一番――厄介だ。
扉が閉まる音がして、
外の気配が消える。
俺は、セナの手を、少しだけ強く握った。
離さない。
もう、二度と。
ラウル・アインハルト




