寝坊した
やばい。
起きた瞬間に、分かった。
――これ、完全に寝坊だ。
窓の外はもう明るいし、時計は容赦なく進んでいる。
ベッドから跳ね起きて、半分寝たまま制服を掴んだ。
「うそでしょ……!」
ボタンを留めながら廊下を走る。
靴を履く時間も惜しくて、階段を二段飛ばし。
変成科棟の廊下を全力疾走したところで、見えた。
教室の扉。
そして――その前に立つ、教官。
今まさに、ドアに手を掛けた、その瞬間。
「おはようございますー!!」
息が切れたまま、勢いだけで飛び込む。
一瞬の静寂。
次の瞬間、教官が口元を緩めた。
「……はい、おはよう。元気だね」
助かった。
心の底から安堵しながら、頭を下げて中へ入る。
教室に足を踏み入れた瞬間、ふわっと鼻をくすぐる匂いがした。
――木と土と、ほんのり薬草。
三ヶ月間、毎日嗅いでいた匂い。
森で、家を作って、畑を耕して、鍋を煮込んでいた頃の。
「……懐かし」
思わず小さく呟いた。
教室を見回すと、見慣れた顔が並んでいる。
少し日に焼けて、どこか落ち着いた雰囲気。
その中で、ひときわ分かりやすく手を挙げる人物がいた。
「セナ、こっち」
レックだった。
迷う理由もなく、そのまま隣の席へ滑り込む。
「助かった……」
「絶対来ると思ってた」
笑いながら言って、レックは自然に手を伸ばした。
指先が、私の髪に触れる。
「……寝癖、すごいぞ」
くすっと笑われる。
「えっ、ほんと?」
慌てて髪を押さえるけど、もうどうにもならない。
「まあ、野外訓練明けだしな」
そう言って、レックは気にする様子もなく前を向いた。
――あ、これ、完全に日常だ。
授業が始まる。
黒板に書かれるのは、基礎的な変成理論。
正直、内容は地味だ。
でも。
(……あ、これ)
魔力の流し方。
素材の構造把握。
術式の組み立て。
森で、毎日のように使っていたそれが、驚くほどすんなり理解できる。
周囲をちらりと見ると、他の子たちも同じ顔をしていた。
「あ、分かる」
「これ、やったことある」
そんな空気が、教室全体に広がっている。
嬉しい。
ちゃんと、身になってたんだ。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
レックと目が合った。
お互い、一瞬だけ驚いて、すぐに笑う。
言葉はなくても、通じる。
――成長したよね、って。
そのまま、何気なく後ろを見ると。
シアンとファルケが並んで座っていた。
……ん?
一瞬、違和感。
視線を落とすと。
机の下で、
シアンの手と、ファルケの手が――しっかり絡まっていた。
「……授業中ぞ?」
思わず心の中でツッコミを入れる。
でも二人とも、何事もない顔で黒板を見ている。
堂々としすぎじゃない?
(まぁ、野外訓練で付き合い始めたって言ってたし……)
納得はする。
するけど。
改めて見渡すと、教室の空気が少し変わっていることに気づいた。
距離が近いペア。
自然に視線を交わす人たち。
肩が触れても気にしない関係。
――あれ?
変成科の教室の中で、
知らないうちに、
自分が中心に立たされていることに。
レックは当たり前のように隣にいて。
シアンとファルケは公認カップルで。
周囲は、それを「そういうもの」として見ている。
なのに。
本人だけが、
その構図を――まだ、何も理解していなかった。
授業は続く。
私はノートを取りながら、少しだけ背筋を伸ばした。
寝坊はしたけど。
今日も、学園の日常はちゃんと回っている。
……たぶん、何も問題はない。
今のところは。




