悪夢のない眠り
シャワーの音が、遠くで一定のリズムを刻んでいる。
その間、俺は――
セナの枕に、顔を埋めていた。
布に残る匂い。
洗い立ての石鹸と、微かに甘い、あの体温の残骸。
胸いっぱいに吸い込んだ瞬間、
喉の奥が、きゅ、と鳴った。
(……ああ)
これだ。
三ヶ月。
長すぎた夜の、答え。
ベッドの端に腰を下ろしたまま、
逃げ場みたいに枕を抱え込む。
視界を塞ぐ布の中で、
何度も、何度も――名前を呼びそうになって、堪えた。
セナは、戻ってくる。
今は、待つだけでいい。
それなのに、身体は正直だった。
指先が、微かに震える。
胸の奥が、静かに痛む。
野外訓練の間、
眠れない夜が続いた。
目を閉じれば、
知らない場所。
知らない距離。
知らない男の影。
誰かの声で、セナが笑っている夢。
――目を覚ますたび、
息が出来なくなった。
だから、枕に顔を埋める。
現実だ。
ここにある。
セナは、戻ってきた。
「……セナ」
小さく呟いた声は、
布に吸い込まれて消えた。
ドアの向こうで、水音が止まる。
その気配だけで、
胸の奥のざわめきが、すっと鎮まっていく。
足音。
近づいてくる。
扉が開く音。
顔を上げるより先に、
腕が、勝手に動いていた。
広げる。
逃がさない距離。
視界に入ったセナは、
少し驚いた顔で、
それでも、ふっと笑った。
――ああ。
その表情で、
全部が、終わった。
腕の中に落ちてきた重み。
胸に伝わる、体温。
心臓の音が、
ちゃんと、現実の速度に戻る。
額に触れる温もり。
髪から落ちてくる、湯気の名残。
「……帰ってきた」
自分でも驚くほど、
声が、掠れていた。
背中に回した腕に、
セナの手が重なる。
ぽん、ぽん、と。
幼い頃から変わらない、慰める仕草。
「よく頑張ったね」
その一言で、
張り詰めていた何かが、ほどけた。
悪夢が、遠のく。
知らない森も、
血の匂いも、
誰かに呼ばれるセナの声も。
全部、今は、ない。
あるのは――
腕の中の重さと、
胸に預けられた、呼吸だけ。
瞼が、自然に落ちる。
怖くない。
奪われない。
今夜は、ここにいる。
初めて、
夢を見ない眠りが、
静かに、訪れた。




