離れない腕と安心感
ラウルの腕は、離れなかった。
ぎゅう、ではない。
強くもない。
でも、逃がさない位置。
呼吸が、近い。
胸の上下が、わかる距離。
――ああ、これだ。
胸の奥が、ゆっくりほどけていく。
ラウルの香り。
鉄と魔力と、夜の残り香。
それに、懐かしい匂いが混ざっている。
知ってる。
この匂い。
赤子の頃から、
眠れない夜に、
何度も嗅いできた匂い。
(……ちゃんと、生きてた)
腕の中で、ラウルの背中が、ほんの少しだけ強張っている。
硬い。
昼間よりも、ずっと。
きっと、眠れていない。
きっと、夢を見ている。
――悪夢。
あの、息が詰まる夜。
何度も、何度も。
セナは、そっと息を吸って、吐いた。
ラウルの背に、手を置く。
ぽん。
ぽん。
一定のリズム。
言葉より、先に、身体が覚えている。
「……よく頑張ったね、ラウル」
声は、低く。
揺らさない。
褒める、というより。
受け止める、みたいに。
ラウルの肩が、わずかに落ちた。
ああ。
やっぱり。
(無理してた)
三ヶ月。
離れていた時間。
会えなかった夜。
触れられなかった距離。
それ全部を、
今、この腕が思い出してる。
セナは、背中を撫で続ける。
ぽん、ぽん。
埋める、というより。
繋ぎ直す、みたいに。
「……」
ラウルは、何も言わない。
でも、腕の力が、少しだけ緩む。
逃げない。
でも、委ねてくる。
それが、答えだった。
夜風が、廊下を抜ける。
ベンチは、冷たい。
このまま、ここで。
朝まで、という選択もある。
でも。
セナは、ちらりとラウルの顔を見た。
目は、閉じていない。
眠れていない。
意識は、こちらにあるのに、
どこか、遠い。
(……戻ってきてない)
だから。
「ベンチか……」
言葉にしてから、
一拍、置く。
「私の部屋に、くる?」
選択肢。
命令じゃない。
引きずるでもない。
ただ、差し出す。
ラウルの腕が、一瞬だけ、強くなった。
でも、すぐに、また落ち着く。
呼吸が、揃う。
「……いいの?」
低い声。
掠れている。
セナは、笑った。
小さく。
当たり前みたいに。
「だって、眠れてないでしょ」
背中を、もう一度。
ぽん。
「今日は……離れないって、決めたから」
ラウルが、息を吸う。
深く。
ゆっくり。
そのまま、額が、肩に触れた。
重さが、預けられる。
(……ああ)
これで、いい。
守る、とか。
守られる、とか。
そういう言葉じゃない。
ただ、一緒にいる。
三ヶ月、離れていた分を、
今、少しずつ。
腕と、呼吸と、体温で。
埋めていく。
離れない腕。
安心感。
それは、
恋人でも、夫でも、
まだ名前のつかない形。
でも。
今のラウルには、
それで、十分だった。
セナは、歩き出す。
腕に絡めたまま。
「ほら」
小さく、声をかける。
「行こ」
ラウルは、頷いた。
迷いなく。
――やっと。
夜が、終わる気がした。




