俺の証
残った。
確かに、残っている。
暗い窓に映った横顔。
首元、髪の影のすぐ下。
指先でなぞらなくても、わかる。
歯形。
赤く、浅く、でも――消えない位置。
(……残した)
胸の奥が、ひどく静かだ。
さっきまで、あれほど暴れていたものが、
嘘みたいに大人しくなっている。
息ができる。
それだけで、世界が違う。
寮の裏手。
石壁の冷たさ。
セナの体温。
全部、まだ残っている。
俺は、噛んだ。
衝動だった。
理性じゃない。
でも、暴力でもない。
――印だ。
俺の中で、はっきりとそうだった。
(誰だよ、あの男)
脳裏に、何度も蘇る。
呼び捨て。
距離。
指先が、当たり前みたいに髪に触れた瞬間。
あの自然さ。
俺がいない間に、
世界が回っていた証拠。
……許せるわけがない。
でも。
セナは、笑っていた。
俺を見た時も。
あの男と並んでいた時も。
それが、何より厄介だ。
怒れない。
責められない。
奪えない。
だから、残した。
噛み跡。
消えにくい場所。
服で隠れて、
でも、近づけば見える。
(俺のだ)
口に出したら、終わる言葉。
だから、噛んだ。
セナが小さく声を上げた瞬間、
俺は我に返った。
やりすぎたかと思った。
傷つけたかと。
でも、セナは――
逃げなかった。
嫌がらなかった。
名前を、呼んだ。
その事実が、
俺の中の何かを、完全に決壊させた。
……ああ。
俺は、もう。
戻れない。
幼馴染の位置には。
守るだけの距離にも。
「嫁だよな?」
あんな言葉を、
迷いなく口にした自分が、
何よりの証拠だ。
セナは、頷いた。
小さく。
でも、確かに。
(選ばれた)
理屈じゃない。
確認でもない。
“今”の事実。
だから、刻んだ。
噛み跡は、
他人への警告じゃない。
セナへの束縛でもない。
俺自身への楔だ。
――もう、離れない。
離れられない。
もし、また。
俺がいない間に、
世界が勝手に回ろうとするなら。
その時は。
……考えない。
考える必要がない。
だって。
そこに、証がある。
俺が残した、
俺だけがわかる、
俺の証。
首元に、そっと残る、噛み跡。
見えなくてもいい。
消えなくてもいい。
ただ、そこにあれば。
俺は、呼吸ができる。
セナが、俺の中で、
ちゃんと“生きている”。
それでいい。
それだけで――




