族長と寄り添う
手が、まだ少し震えていた。
串を持つ指先が、わずかに揺れる。
火にかざしているのに、温度がうまく伝わってこない。
……生きてる。
そう思うのに、身体が追いついていない。
焚き火の向こうで、弾む声がした。
「鹿肉おいしー! 香草が効いてる!」
火の光を受けて、銀髪が揺れる。
無邪気に、でも誇らしげに笑っている。
俺は、思わず目を細めた。
その拍子に、震えが強くなる。
(……ああ、くそ)
向かいでは、視線の置き場に困っている気配。
ちら、とこちらを見て、すぐに逸らす。
その隣で、無言のまま肉を焼いていた影が、ふっと串を差し出してきた。
「……ほら。俺でも見とけ」
低い声。
不器用で、でも優しい。
串を受け取った瞬間、隣の気配がびくっと跳ねたのがわかった。
(……今の、気づいたの俺だけだな)
震える指で串を回しながら、ぽつりと零す。
「本当に……なんとかなって良かった」
声が、少し掠れていた。
震えは、まだ止まらない。
昼の森が、脳裏に張り付いている。
罠へ向かう獣道。
跳ね上がる心拍。
枝を蹴って、息を吐いて、ただ前だけを見る。
囮になると決めた時。
正直、怖かった。
でも、逃げるという選択肢は、最初からなかった。
走りながら、頭に浮かんだのは一つだけ。
――あの人。
もし、戻れなかったら。
もし、倒れたら。
……嫌だ。
だから、踏み切った。
全力で。
罠を越えて。
次の瞬間、背後で地面が鳴った。
重い衝撃。
魔物が、落ちた。
俺は地面に転がった。
息が、うまく吸えない。
その時だ。
必死な足音。
視界に落ちる影。
胸倉を、ぎゅっと掴まれた。
迷いのない力。
「いのちだいじに!」
叱るみたいで、必死で、泣きそうな声。
蒼い瞳が、近い。
……反則だ。
そんな言い方。
そんな距離。
そんな顔。
生きろって、
戻ってこいって、
全部、そこに詰まってた。
言葉を失った俺に、さらに一言。
「レックありがとう」
その瞬間。
胸の奥で、何かが崩れた。
音を立てて。
抗いようもなく。
――ああ。
俺は、この人に恋をした。
守れたからじゃない。
走れたからでもない。
生きてていい、と。
生きろ、と。
真っ直ぐに肯定されたからだ。
焚き火の前で、今もその人は笑っている。
肉を配って、仲間と話して、次の保存の段取りを考えている。
生きるために、前を向いて。
(……敵わないな)
串を持つ手を見る。
まだ、少しだけ震えている。
でも。
その震えが、ゆっくりと、静かに止まった。
――守れた。
その実感が、遅れて胸に落ちる。
「……族長」
小さく呼ぶと、振り向いて首を傾げた。
「ん?」
「……いや、なんでもない」
今は、それでいい。
同じ火を囲んで、
同じ夜を、生きている。
指先は、もう震えていなかった。




