キャンプだ!あっ忘れてた!
朝の光は、昨日よりもやさしいはずだった。
なのに、胸の奥がざわついている。
理由は、わかっている。
昨日の合同訓練。
あれは訓練という名の――現実だった。
戦場の音。
魔術が空気を裂く感触。
倒れた人間を回収して、叩いて、起こして、また前へ投げ戻す治癒魔術科。
吹き飛ばされながら笑う騎士科。
そして、後ろの隅で、ひたすら整え、支え、片付け続ける変成科。
(……うん。思い出しただけで胃が重い)
そんな朝だ。
教室に入ると、変成科の空気はどこか静かだった。
皆、声は出さないけれど、視線が低い。
昨日の光景が、まだ瞼の裏に張り付いている。
そこへ。
にっこにこ。
本当に、朝の陽だまりみたいな顔で教官が入ってきた。
「おはよう諸君!」
反射的に背筋が伸びる。
「おはようございます!」
声は揃っている。
揃っているけれど、元気かと言われたら別問題だ。
教官は満足そうに頷いた。
「うんうん!元気いっぱいだ!
その元気を変成魔術に捧げてくれたまえ!」
(昨日のアレを見た翌朝に言う台詞じゃない)
誰も口に出さない。
出さないけれど、全員が同じことを思っている。
昨日の合同訓練が、頭をよぎる。
喉が、きゅっと鳴った。
教官は気づかない。
気づかないまま、続ける。
「さて。連絡事項がひとつある」
嫌な予感がした。
こういう前置きのとき、だいたい碌なことがない。
「来週から、野外訓練に入る」
……野外?
「楽しいキャンプが待ってるぞ!」
キャンプ。
その言葉だけが、教室にふわっと落ちた。
一瞬、空気が緩む。
ほんの一瞬。
恐る恐る、誰かが手を挙げた。
「……何日間ですかー?」
教官は、にこやかに答えた。
「たった三ヶ月だ」
……。
…………。
……………………。
音が、消えた。
風の音も、紙の擦れる音も、呼吸音も。
すべて、消えた。
(なんですと?)
頭の中で、私は静かに問い返した。
三ヶ月?
今、三ヶ月って言った?
(我……いや、我ら……)
一年生だ。
まだ、入学して数日だ。
昨日ようやく、「変成科は後ろで支える」という現実を飲み込んだばかりだ。
(しかも、始まってから数日目ぞ???)
教官は、静まり返った教室を見回して、満足そうに頷いた。
「大丈夫だ!
魔物が出るエリアには行かないからな!」
……それ、本当に大丈夫って言っていいやつ?
「はい!お知らせ終わり!
じゃあ、変成理論の続きを始めるぞー!」
黒板に向き直る背中が、あまりにも軽い。
思考が、追いつかない。
三ヶ月。
野外。
キャンプ。
魔物はいない(予定)。
(予定、って何)
私は机に突っ伏しそうになるのを、必死で堪えた。
視界の端で、誰かが小さく震えている。
別の誰かは、遠い目をしている。
一人は、もう諦めた顔で頷いていた。
(あ……これ……)
逃げ場、ないやつだ。
昨日、戦場を見せられた理由。
今日、野外訓練を告げられた理由。
全部、繋がっている。
「できないと詰む」
その言葉が、じわじわと現実になる。
変成科は地味だ。
派手じゃない。
前にも出ない。
でも。
装備がなければ戦えない。
飯がなければ倒れる。
寝床がなければ死ぬ。
壊れたら、直す者が要る。
(……私たち、裏方じゃなくて)
生命線だ。
教官の声が、淡々と理論を刻んでいく。
私は、窓辺の席から外を見た。
校舎の向こう、遠くの森。
まだ何も知らない顔をした緑。
(……キャンプ、ね)
楽しい、とは何だろう。
昨日の合同訓練を思い出す。
あれを支える側に回る三ヶ月。
喉が鳴った。
(……我ら、一年生ぞ?)
大事なことだから、もう一度思った。
それでも。
逃げる気は、不思議となかった。
怖い。
でも、目を逸らしたくない。
変成科の朝は、地味で強い。
そして今日、その意味が、また一段、重くなった。
ベルが鳴った。
それは救済の音だ。
午前の理論地獄を断ち切る、神の合図。
教室の空気が一斉に緩み、椅子が鳴り、ノートが閉じられる。
(お昼だ!!)
腹の虫が正直すぎるタイミングで鳴いた。
私は小さくガッツポーズをして立ち上が――
教官「あっ!!忘れてた」
……。
空気が、止まった。
教官は、思い出した、という顔をしていた。
本当に、つい今しがた思い出した、という顔で。
教官「大事なことがあったんだった」
嫌な予感がした。
この学園で「大事なこと」は、だいたい胃に来る。
教官「キャンプは変成科だけだよっ!」
……ガーン。
音が出るなら、たぶんそんな音だった。
誰かが椅子に座り直す音すら、やけに大きく響く。
(……だけ?)
変成科だけ。
騎士科もいない。
魔術科もいない。
治癒魔術科もいない。
後ろを守るはずの科が、
前に誰もいない状態で、
三ヶ月。
教官は続ける。
教官「各自各々、生き残るための準備は念入りにね!」
にこにこ。
いつもの、朗らかな笑顔。
(生き残るって言った)
その言葉だけが、頭の中で反響する。
誰かが、ごくりと喉を鳴らした。
そして、恐る恐る、手が挙がる。
「……あの」
声が、かすれていた。
「マジックバッグは……使用できますか?」
教官は、即答しなかった。
一拍。
二拍。
そして、にっこり。
教官「極限状態で鍛えるにあたって、使用は可能だと思いますか?」
……。
沈黙。
それが、答えだった。
教室の誰もが、視線を落とした。
ノートの端。
床。
自分の指先。
(あ、これ)
“持って行ける”じゃない。
“持って行けると思うな”だ。
保存食も。
着替えも。
便利な道具も。
全部、「自分でどうにかしろ」という意味だ。
教官は満足そうに頷いた。
教官「変成科はね、生活そのものを作る科だ」
教官「用意された環境に適応するんじゃない」
教官「環境を、成立させる側だ」
その言葉が、ずしんと落ちた。
昨日の合同訓練。
吹き飛ぶ騎士科。
死を投げる魔術科。
人を拾い続ける治癒魔術科。
そして、その全部の“後始末”。
(……私たちだけで、やれってことか)
ふと、ラウルの顔が浮かんだ。
今頃、魔術科で血の匂いに慣らされているはずの背中。
(……心配、してるだろうな)
私は、ぎゅっと拳を握った。
怖い。
正直、めちゃくちゃ怖い。
でも。
変成科は、地味だ。
だからこそ、
ここで折れたら、意味がない。
お昼の合図。
誰も立ち上がらない。
でも、誰も泣き出さない。
変成科だけのキャンプ。
三ヶ月。
極限状態。
(……忘れてた、じゃないよ)
これは、試されている。
“後ろに立つ者”として、
一人で立てるかどうかを。
えーん( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)1章を飛ばしてしまいました。
深くお詫び申し上げます。改稿しました(。>ㅅ<。)




