学園前夜
宿の部屋は、思っていたより静かだった。
廊下の足音も、遠くの話し声も、扉一枚で切り離される。
灯りを落とすと、窓の外に星が滲んで見えた。
――明日から。
同じ学園へ通う。
同じ敷地で、同じ朝を迎える。
でも、進む道は別々だ。
それが、急に現実味を帯びてきて、胸の奥が少し重くなる。
ベッドに腰掛けて、外套を畳む。
ちらりと視線を向けると、ラウルは壁際に立っていた。
窓からの淡い光が横顔を縁取っている。
何かを考えている時の、あの沈黙。
……あの話を聞いてから、
正直、放っておくのが怖くなった。
「ねぇ、ラウル」
声をかけると、少し遅れて振り向く。
「なに?」
低くて、落ち着いた声。
いつも通りのはずなのに、どこか張り詰めている。
私は一呼吸置いてから、言葉を選んだ。
「しばらく、一緒に寝れないでしょ?」
確認するような言い方になってしまった。
ラウルは、否定も肯定もせず、短く頷く。
「そうだね」
その一言が、やけに重い。
「……だからさ」
私は、少しだけ身を乗り出す。
「私にできることとか、欲しいものとか、ある?」
問いかけた瞬間、
ラウルの呼吸が、わずかに乱れた。
一瞬、目を伏せる。
それから、ゆっくりと視線を上げてくる。
「……」
沈黙。
短いけれど、意味を含みすぎている間。
「……セナの香りがついてるものかな」
ぽつりと落とされた言葉は、
冗談とも本気ともつかない響きだった。
私は一拍遅れて、反応する。
「……犬か!」
思わず声が大きくなる。
「ちょっと、変態みたいなんだけど!」
勢いでそう言った瞬間、
ラウルの肩が、わずかに揺れた。
「否定はしない」
真顔で言うから、余計におかしい。
「しないんだ……」
「香りは、記憶に直結する」
やけに真面目な説明。
「息ができる」
淡々とした口調なのに、
内容が重い。
私は一度、天井を仰いだ。
……なるほど。
あの話を聞いた後だと、笑い飛ばしきれない。
「……じゃあ」
立ち上がって、荷物の中を探る。
畳んだ服を一枚一枚めくって――
「はい」
差し出したのは、
いつも羽織っていた薄手の外套。
「これ。私、結構着てたでしょ」
ラウルが、目を見開く。
「いいの?」
「貸すだけだよ。返してもらうから」
釘を刺すように言うと、
ラウルは小さく息を吐いた。
「……大切にする」
受け取る手つきが、やけに丁寧だ。
「それと」
私は指を立てる。
「変なことに使ったら没収ね」
「変なことの定義が広いな」
「広くていいの」
少しだけ、空気が緩んだ。
ベッドに戻って、並んで腰掛ける。
肩が触れる距離。
「明日から、忙しくなるね」
「そうだな」
「ちゃんと、ご飯食べるんだよ」
「……誰に言ってる?」
「ラウルに」
即答すると、
小さく、喉で笑う音がした。
「セナは?」
「私は変成科だから。死なない」
「信用ならない」
「ひどい!」
軽口を叩き合いながら、
でも、どこか慎重で。
夜が、深くなる。
布団に入ると、
自然と距離が縮まった。
「……今日は、最後だな」
ラウルの声が低い。
「うん」
それ以上は言わない。
腕が回ってくる。
抱きしめる力は、強すぎず、弱すぎず。
「明日も、ちゃんと話そう」
「当たり前だ」
その返事に、少しだけ安心する。
外套は、枕元に置かれた。
明日からの“代わり”として。
灯りを落とす。
「おやすみ、ラウル」
「おやすみ、セナ」
静かな夜だった。
でも確かに、
ここが“前夜”だとわかる夜だった。




