馬車に揺られて
実家を出たのは、まだ空気の冷たい朝だった。
門を閉める音が、思っていたよりも軽くて、逆に胸の奥に残った。
「行ってきます」
振り返って手を振ると、両親はいつもの笑顔で頷いた。
送り出す顔をしている。
引き止めない。
――長命種の別れ方だ。
馬車は、ゆっくりと走り出す。
石畳の感触が、車輪越しに伝わってくる。
私は向かいの席に座り、ラウルは隣。
いつもの距離。
……いや、今日は近い。
揺れに合わせて、肩が触れる。
避けようとしても、馬車は揺れる。
揺れるたび、触れる。
「……」
沈黙が落ちた。
気まずいわけじゃない。
話すことがないわけでもない。
ただ、二日間という時間が、じっとこちらを見ているだけだ。
「……長いな」
ぽつりと、ラウルが言った。
低く、落ち着いた声。
「二日だもんね」
そう返しながら、私は窓の外を見る。
畑、林、ゆっくり流れる景色。
知っているはずの土地が、少しずつ遠ざかっていく。
馬車が少し大きく揺れて、身体が傾く。
反射的に、ラウルの腕が伸びた。
腰に、手。
ぎゅっと抱き寄せられる。
「あ、ごめ……」
「揺れる」
それだけ。
言い訳も、説明もない。
そのまま、離れない。
……近い。
思っていたより、ずっと。
馬車の中は狭い。
二人分の呼吸が混ざる。
布の擦れる音。
革の匂い。
ラウルの体温。
「……離れないんだ」
冗談めかして言うと、
ラウルは少しだけ、腕に力を込めた。
「離す理由がない」
低音。
静かで、確定した言い方。
返す言葉を探しているうちに、馬車はまた揺れた。
結局、そのままの姿勢になる。
――これが、二日間。
昼、簡単な休憩で馬車を降りる。
パンと干し肉。
水。
地面に腰を下ろして食べる。
向かい合って。
「……こうしてると、遠足みたい」
「遠足は、帰る場所が近い」
淡々と返されて、私は口をつぐんだ。
確かに、今回は違う。
再び馬車に乗る。
午後。
眠気が来る。
気づけば、私はラウルにもたれかかっていた。
起きた時、頭の下に腕がある。
「……起こして」
「寝てろ」
即答。
馬車の揺れが、子守歌みたいに続く。
目を閉じると、安心してしまうのが悔しい。
夜。
宿に泊まる前、短い休憩。
焚き火の匂い。
外の空気が冷たい。
「寒いか」
「ちょっと」
ラウルは迷わず外套をかけてくる。
言葉はいらないらしい。
宿に着くまで、また馬車。
今度は私が起きて、ラウルが目を閉じている。
肩に頭が重くなる。
彼の重み。
……近い。
近すぎる。
この距離が、いつまで許されるのか。
考えないようにして、窓を見る。
夜の道。
星が多い。
宿に着いた時、二人とも少し無言だった。
部屋は一つ。
当然のように。
「……今日も、一緒だな」
「うん」
それ以上は言わない。
ベッドに並んで座る。
私服のまま。
制服は、まだ鞄の中。
「明日の朝だな」
ラウルの視線が、一瞬だけ逸れた。
「うん」
今日と明日の境目。
それを、二人とも理解している。
灯りを落とす。
暗くなる。
布団に入ると、自然に腕が回ってくる。
今日一日で、何度目かわからない。
「……近い?」
「今さら」
小さく笑った気配。
胸に額が触れる。
呼吸が、同じリズムになる。
「二日間、早かったな」
「まだ一日残ってる」
「……そうだったな」
でも、その声は少しだけ、残念そうだった。
私は目を閉じる。
ラウルの腕の中。
馬車の揺れは、まだ身体に残っている。
近すぎる距離も、当たり前みたいに。




