地獄に備えて
恐い。
正直に言って、恐い。
荷物を詰める音が、やけに大きく聞こえる。
布が擦れる音、金具が触れる音。
それだけで、胸の奥がざわついた。
神殿で過ごした一年も、十分に地獄だった。
夜を越えるたび、ただ耐えることだけを覚えた日々。
同じ義務教育でも、
セナがいた「女子側」と、俺が放り込まれた「男子側」は、明確に違った。
体躯。
魔力量。
基礎能力。
数字と結果で分けられ、
班を組まされ、
魔術の基礎、魔物の構造、致命傷の見極め、
生き残るための鍛錬を、息もつかせず叩き込まれた。
叫ぶ声。
倒れる音。
血の匂い。
そこに、セナはいなかった。
呼ぶ声もない。
手を伸ばしてくれる温度もない。
それでも耐えられたのは、
「終われば、セナと一緒にいられる」
それだけを、胸の奥で反芻していたからだ。
そして今。
実際に、セナとふたりで眠るようになって。
――どれだけ、俺が息をしているか。
夜が来るたび、
意識が沈むたび、
腕の中の重みが、確かに俺をこの世界に繋ぎ止めていた。
なのに。
また、離れる。
学園。
科の違い。
昼と夜の断絶。
わかっている。
セナが選んだ道だ。
それを邪魔する権利は、俺にはない。
むしろ――
良い機会だと、思った。
セナが、何度も俺を救ってくれた。
息を引き戻し、
身体を掴み、
生きろと、無言で言い続けてくれた。
今度は、俺の番だ。
守られる存在から、
守る存在へ。
離れても、壊れないように。
戻ってきた時、必ず受け止められるように。
そう、覚悟を決めた。
「……セナ……」
ぽつりと零した名前は、
荷造りの音に溶けて、消えた。
夜。
部屋の灯りを落とし、
いつものように、腕を伸ばす。
セナが、そこにいることを確かめてから、
静かに、慎重に、抱き寄せる。
呼吸が整っている。
眠っている。
そのことに、安堵と、わずかな痛みが混じる。
起こさないように、
唇を、そっと重ねる。
首元に、同じ熱を落とす。
欲ではない。
衝動でもない。
これは、記憶だ。
香り。
温度。
腕に伝わる柔らかさ。
忘れないために。
これから来る地獄の夜を、耐え抜くために。
身体を密着させ、
深く、静かに息を吸う。
――大丈夫だ。
離れても、壊れない。
壊れさせない。
そう言い聞かせながら、
俺は、目を閉じた。




