受験生
あの夜から、私はずっとラウルの抱き枕だ。
もう三ヶ月。
数えたのは最初だけで、今ではそれもやめた。
ここまで来ると、もはや日常である。
朝になれば、腰に回された腕をぺちぺち叩き、
夜になれば、何も言わずに同じ布団に収まる。
拒んでいないし、許可もしていない。
ただ、続いている。
あの重たい話を聞いてしまったあとでは、
「今日はやめておこうか」と言い出すのが、少しだけ難しくなったのは確かだ。
でも――
まぁ、ずっと一緒だったし。
今さら、だ。
布団の中で考え事をしていると、背中に当たるラウルの体温が、一定のリズムで上下する。
寝息は静かで、呼吸は深い。
夜の闇の中で、彼がちゃんと眠っていることが分かるだけで、妙に安心してしまう自分がいるのが悔しい。
……さて。
現実逃避はここまで。
本題に入ろう。
学園は、「入りたかったらどうぞ」みたいな、ゆるふわ施設ではなかった。
甘かった。
異世界だからって、現実が優しいとは限らない。
そう――
適性試験がある。
魔力量、制御力、集中力、基礎知識、精神耐性。
項目を聞いただけで胃がきゅっとなる。
「そういえば、そんなのあったわね」
朝食の席で、母が軽やかに言った。
「君も受けたはずだろう?」
父が紅茶を飲みながら補足する。
……軽い。
軽すぎる。
「え、待って。私それ、聞いてない」
「だって、あなたは問題なかったもの」
さらっと言われた。
いや、そういう問題じゃなくて。
ラウルが入学を考えていると口にしたことで、初めて話題に上がったのだ。
つまり、私が受験生になる未来は、完全にノーマークだったらしい。
異世界に来て、
赤子を百年やって、
成人式で泉に投げ込まれて、
神殿生活を経て、
ようやく落ち着いたと思ったら――
受験生。
「……まさか、ここで受験戦争が待ってるとは」
思わず呟くと、隣でパンをちぎっていたラウルが、少しだけ目を細めた。
「大丈夫だよ」
低く、落ち着いた声。
「セナは、基礎ができてる」
「それ、褒めてる?」
「事実」
即答だった。
むしろ余計にプレッシャーだ。
「でも、適性試験って、筆記だけじゃないんでしょ?」
「うん。実技もある」
「実技……」
魔術。
あの、地味で、静かで、集中力が削られるやつ。
母がにこにこと笑いながら言う。
「魔力の流れを見るのが中心よ。派手なことはしないから安心して」
「……それ、安心要素?」
父が肩をすくめる。
「見られるのは才能よりも、向きだな」
向き。
その言葉が、胸の奥に引っかかった。
私は、魔術師になりたい。
それは本心だ。
でも、学園に行くということは、
今の生活が変わるということでもある。
毎晩、隣にラウルがいる日常。
朝になれば、当たり前のように一緒に食卓につく日々。
それが、崩れる。
「……」
無意識に、ラウルの袖をつまんでいた。
気づいた彼は、何も言わずに、指先で私の手を包む。
力は入れない。
ただ、そこにあるだけ。
「セナ」
小さく呼ばれて、顔を上げる。
「試験、受けよう」
それは命令でも、説得でもなかった。
提案ですらない。
確認だ。
「……うん」
返事をした自分の声は、思ったよりも落ち着いていた。
そうだ。
逃げる理由は、ない。
長命種だ。
時間はある。
失敗しても、やり直せる。
――やるしかない。
朝食が終わり、庭に出る。
朝の光は柔らかく、空気は澄んでいる。
木々の葉が、風に揺れて音を立てる。
「じゃ、特訓だね」
母が腕を組んで言う。
「唸りなさい」
「なにを?」
「遺伝子を」
雑だ。
でも、嫌いじゃない。
深呼吸をして、両足で地面を踏みしめる。
身体の内側に意識を向ける。
流れ。
熱。
巡り。
最近ようやく分かってきた感覚だ。
「焦らなくていい」
背後から、ラウルの声。
距離は、少しだけある。
触れない位置。
……ちゃんと、分かってるんだな。
「唸れ……」
私は小さく呟いた。
「両親の遺伝子……!」
気合いだけは、十分だ。
こうして私は、
異世界でも変わらず、
受験生になったのだった。




