母は恋愛脳
朝の食卓は、平和そのものだった。
窓から差し込む光は柔らかく、
焼き立てのパンの香りが部屋を満たしている。
湯気の立つスープと、温かい紅茶。
この家の朝は、いつも変わらない。
――少なくとも、大人の目には。
私は、娘を眺めながら微笑む。
ああ、本当に。
よく育ったわ。
銀色の髪は私譲り。
瞳の色は……ふふ、愛しいあの人と同じ蒼。
赤子の頃から、頭の回転が早くて、
周りをよく見ていて、
何より――可愛かった。
「ねえ、あなた」
私は隣に座る夫に、そっと声を落とす。
「セナ、今日も可愛いと思わない?」
「毎日言ってるだろ、それ」
呆れたように返されるけれど、
その口元は、ちゃんと緩んでいる。
――似た者夫婦だ。
視線を戻すと、
娘はスープを飲みながら、ちらりと隣を見ている。
その隣には、ラウル。
……ふふ。
「……ねえ」
今度は、もっと小さな声で。
「気づいた?」
「何をだ」
「距離」
夫は一瞬考えてから、ちらりと二人を見る。
「……近いな」
「でしょう?」
私は、にっこり笑う。
ほら、見て。
肘と肘が触れそうで触れない距離。
会話は少ないのに、視線のやり取りが多い。
そして、ラウルのほうが、
一拍遅れてセナを見る癖。
――あれはもう。
「恋よね」
即断。
「断定が早い」
「いいのよ、母の勘は当たるの」
赤子の頃から一緒。
八十年も寄り添って育った幼馴染。
成人して、同じ屋根の下で、
同じ朝食を囲んで、
同じ空気を吸っている。
……そりゃ、芽生えるわ。
むしろ、
芽生えていなかったら心配する。
セナは気づいていないふりをしているけれど、
ラウルの視線は、もう隠せていない。
今朝なんて、
起きてきたとき、ほんの少しだけ、
二人の間に妙な間があった。
――ああ、これは。
「何かあった顔ね」
私は、わざと明るく言う。
「な、なにもないよ?」
セナが、ちょっと早口で返す。
……可愛い。
一方、ラウルはというと、
紅茶を一口飲んでから、静かに答える。
「……大丈夫です」
この、“大丈夫”が一番怪しい。
「ふふ」
思わず笑ってしまうと、
二人が同時にこちらを見る。
「なに?」
「いえいえ」
私は手を振る。
「若いっていいなぁ、って思っただけ」
夫が小さく咳払いをした。
「母さん、あまりからかうな」
「からかってないわ。応援してるの」
「何を!?」
セナが声を上げる。
「未来よ、未来」
私は胸の前で手を組む。
「ねえ、セナ。
ママはね、学園でパパに出会ったの」
「またその話?」
「何度でもするわ」
だって大事なんだもの。
一目惚れ。
運命。
視線が合った瞬間、世界が変わった。
――そういうの、あるのよ。
「あなたもね」
私は、娘を見つめて言う。
「大切に思う人がいるなら、
その気持ちは、大事にしたほうがいいわ」
セナは、少しだけ目を逸らした。
「……まだ、わかんないよ」
「いいの。今はそれで」
隣で、ラウルが何も言わずに頷く。
……あら。
この子、
ちゃんと分かっている目をしている。
「ラウル」
私が呼ぶと、彼は姿勢を正した。
「セナのこと、お願いね」
「……はい」
即答。
迷いがない。
……ああ、もう。
これは時間の問題ね。
私は紅茶を飲みながら、
心の中で静かに決めた。
――この家、
近いうちにもう一人、
“家族”が増えるかもしれない。
恋は、
大人が思っているより、
ずっと静かに、
でも確実に、始まっているのだから。




