何してたの?
朝だ。
カーテンの隙間から、細い光が差し込んでくる。
夜の名残を押しのけるみたいに、ゆっくり、でも確実に。
……暑い。
いや、正確には、蒸している。
「……ん?」
寝返りを打とうとして、違和感に気づく。
背中に、ぴったりと張り付く体温。
そして――
ぬるい。
「……え?」
そっと視線を落とす。
ラウルだ。
私のすぐ隣。
いつも通り、腕を回している……はず、なんだけど。
濡れている。
額。
首筋。
髪の生え際。
しっとり、というレベルじゃない。
これはもう、がっつり汗だ。
(……え?)
頭の中で、警報が鳴る。
(まさか、私の隣で……?)
いや、待て。
早計だ。落ち着け。
これは異世界だし、成人したてだし、色々あるし――
いや、色々って何だ!!
私の脳内で、想像が暴走を始める。
・夜中にうなされてた?
・悪夢?
・それとも……それとも……!
(まさか、成人男性の“あれ”が“あれ”で……!?)
一気に顔が熱くなる。
「……っ」
そっと体を離そうとした、その瞬間。
「……違うからね?」
低い声。
すぐ耳元。
「ひゃっ!?」
心臓が跳ねる。
振り向くと、ラウルは起きていた。
半分目を伏せて、でも意識ははっきりしている顔。
そして――
沈黙。
言い訳が、来ない。
(来ない……)
その沈黙が、逆に怖い。
「……」
「……」
数秒。
たったそれだけなのに、やたら長い。
(これは……黒……?)
私の中で、結論が出かけたその時。
「本当に、違うから」
ラウルが、もう一度言った。
今度は、少しだけ強く。
……でも、理由は言わない。
(え、そこ説明しない!?)
沈黙が、再び落ちる。
空気が、重い。
(なに!?
なにを隠してるの!?
夢!?
汗!?
それとも私のせい!?)
耐えきれなくなった私の足が、動いた。
「……っ」
ベッドから、するり。
逃げる。
「セナ?」
振り返らない。
「ちょっとトイレ!!」
明らかに挙動不審。
背後から、慌てた気配。
「違うって!!」
追ってくる声が、必死だ。
廊下に出る。
朝の家は静かで、床板の音がやけに響く。
(なに!?
なにしてたの!?
夜中に!!)
私の頭の中は、完全に修羅場だ。
洗面所に逃げ込もうとしたところで、
腕を掴まれた。
「待って!」
ラウルの手は、まだ少し湿っている。
「本当に、変なことじゃない」
「じゃあ何してたの!!」
振り返る。
ラウルは、一瞬言葉に詰まった。
視線が、わずかに逸れる。
(……あっ)
この反応。
怪しい。
「……」
「……」
また、沈黙。
朝の光が、二人の間を照らす。
昨日まで当たり前だった距離が、急に気まずい。
「……夢、見てただけ」
ようやく出た答えは、拍子抜けするほど小さい。
「悪い夢」
それだけ。
(……悪い夢?)
汗の量と、さっきの沈黙を思い出す。
……いや、軽くないぞ、それ。
「……どんな?」
思わず聞いてしまう。
ラウルは、少し困った顔をした。
いつもの余裕が、ほんの少し剥がれている。
「……そのうち、話す」
その言い方に、
なぜか胸が、きゅっとする。
冗談にできない何かが、そこにある。
「……朝ごはん、行こ」
私が言うと、ラウルは小さく息を吐いた。
「……うん」
腕を離して、距離ができる。
でも、完全には離れない。
(……なに、この感じ)
さっきまでの妄想は、どこかへ消えていた。
代わりに残ったのは、
言葉にできない違和感と、妙な静けさ。
リビングから、母の声。
「二人とも、起きてるの?」
「はーい!」
返事をしながら、私は一歩踏み出す。
背中に、視線を感じる。
振り返ると、ラウルが静かに見ていた。
……汗は、もう引いている。
でも、
何かは、まだ残っている。
(……何してたの?)
その問いは、口に出さず、胸の中にしまった。
今はまだ、
聞かなくていい気がしたから。
朝は、始まったばかりだ。




