レックとリーネ
噂は、唐突に広がった。
食堂。
掲示板の前。
廊下の隅。
「聞いた?」
「うそでしょ?」
「レックと……誰?」
セナがその名前を聞いたのは、
シアンが珍しく言葉を詰まらせた時だった。
「えっと……その……」
「なに?」
シアンは一度、深呼吸してから言った。
「レック、結婚するんだって」
一瞬、意味が追いつかなかった。
「……は?」
その隣で、ファルケが短く補足する。
「相手は、リーネ・ノエル」
空気が、止まる。
――え。
あの、リーネ?
セナの脳裏に浮かぶのは、
まっすぐな視線。
自分が“選ばれた女”だと信じて疑わなかった瞳。
「……まさか」
シアンが、困ったように笑う。
「ガチらしいよ。双方の家も了承済みで」
「早くない!?」
「それがね」
シアンは声を落とす。
「リーネの方が、最初に言ったんだって。
“逃げない人と結婚したい”って」
静かだった。
セナは、胸の奥に、
ざらりとした感情が落ちるのを感じた。
驚き。
困惑。
そして――妙な納得。
数日後。
レック本人から、きちんと話があった。
場所は、訓練後の中庭。
風が通り抜ける、夕方。
「驚かせたよな」
苦笑い。
「……うん」
セナは正直に頷いた。
「でも、変に隠されるよりは、ずっといい」
「そう言ってもらえると助かる」
レックは空を仰ぐ。
「正直さ、俺も恋に溺れるタイプじゃなかった」
一瞬だけ、視線がセナに向く。
「でも、あの時――
“選ばれなかった側”になって、
ちゃんと地に足ついたんだ」
セナは、何も言えなかった。
「リーネは……強いよ」
レックが続ける。
「傷ついた自覚もあるし、
それでも前に進む覚悟もある」
「……逃げなかったんだね」
「逃げなかった」
即答だった。
「だから俺も、逃げなかった」
沈黙。
「幸せに、なれる?」
そう聞くと、
レックは少しだけ考えてから言った。
「幸せに“する”」
その言葉は、
恋の延長じゃなく、
生活の覚悟だった。
遠くで、リーネが待っていた。
茶色の髪。
背筋を伸ばした姿勢。
視線が合うと、
彼女は小さく会釈をする。
敵意も、勝ち誇りもない。
ただ――
選んだ未来に、立っている人の顔だった。
セナは、静かに息を吐く。
「……おめでとう」
レックは、少し照れたように笑った。
「ありがとう。
それと――」
一拍置いて。
「セナも、ちゃんと幸せになれよ」
「……うん」
二人は、それ以上、何も言わなかった。
恋が終わって、
別の人生が始まる。
それは、
失敗じゃなく、分岐だ。
夕暮れの中で、
それぞれの選んだ道が、
静かに、確かに、分かれていった。




