順調過ぎて恐い
野外訓練が、もう一ヶ月経過していた。
朝。
空は、信じられないほど澄み切っている。
深く息を吸うと、肺の奥まで冷たくて清潔な空気が入ってきた。
……美味しい。
最初の数日は、
「この環境で三ヶ月!?」
「人の心とかないの!?」
と本気で思っていたのに。
今ではもう――
遠くから聞こえてくる怒号。
爆音。
魔術の衝突音。
全部、生活音だ。
「今日も元気だなぁ……」
誰かがぼんやり言う。
それに誰も突っ込まない。
慣れとは恐ろしい。
そして、何より恐ろしいのが。
――順調すぎる、ということ。
変成科は、絶賛されていた。
拠点の安定性。
補給の回転。
防御陣の更新速度。
どれを取っても、過去例を大きく上回っているらしい。
「変成科がいると、前線が二段階楽になる」
「もう後ろじゃないよね」
「もはや縁の下じゃなくて、柱」
そんな評価が、あちこちから聞こえてくる。
……いや、やめて。
褒められると、不安になる。
歯車は、完璧に噛み合っていた。
騎士科が前に出る。
魔術科が火力を叩き込む。
治癒魔術科が回復を回す。
そして、そのすべてを、
変成科が下から支えている。
地盤。
導線。
魔術式の補助。
環境制御。
「あ、ここ補強入れとく?」
「了解、ついでに水脈いじるね」
会話は短く、無駄がない。
――機械みたいだ。
でも、それが心地いい。
ふと、視線を感じて、チラ、と横を見る。
……いた。
教官。
いや、正確には。
白いテーブルクロス。
丁寧に淹れられた紅茶。
ぷるん、と揺れるプリン。
完全に、優雅なティータイム。
さらに。
片手に、恋愛小説。
表紙を、二度見した。
『地獄の上に咲く淫らな劣情』
……。
タイトル、強すぎない?
思わず瞬きする私に気づいたのか、
教官がちらっとこちらを見て、にこりと笑った。
「順調だねぇ」
紅茶を一口。
「こういう時ほど、気を抜かないで」
そう言って、またページをめくる。
……その本を読みながら言われると、
説得力があるのかないのか、判断に困る。
でも。
平和だった。
不気味なくらいに。
誰も倒れていない。
拠点は安定。
食料も潤沢。
夜は、ちゃんと眠れている。
このまま、
このまま野外訓練が、無事に終われば――
そんなことを考えた瞬間。
ふっと、ラウルの顔が浮かんだ。
戦闘魔術科の、過酷な環境。
最前線。
削られる精神。
……ちゃんと、食べてるかな。
美味しいご飯、
いっぱい食べさせてあげたいな。
野外訓練が終わったら。
帰ったら。
そんなことを考えて、
少しだけ、口元が緩んだ。
その瞬間。
「オカーーーン!!!」
――やめて。
本当に。
振り返ると、
何かをやらかしたらしい変成科の後輩が、
全力疾走でこちらに向かってきていた。
「何したの今度は!」
叫び返しながら、立ち上がる。
……平和だ。
うん。
平和すぎて、ちょっと怖いくらいに。
それでも。
今は、この順調さを信じて、
今日の仕事を、きっちりこなすだけだ。
変成科は、今日も唸っている。
「唸れ! 遺伝子!!!」




