いいよ。
「……いいよ」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
軽くて、柔らかくて。
眠りに沈みかけた声で。
意味を選ばない、無防備な許可。
――いいよ。
何が、だ。
どこまで、だ。
喉が鳴る。
シャワーを終えて部屋に戻った時、
灯りは落とされていて、
ベッドの上には、すでに小さな寝息があった。
湯気の名残をまとったまま、立ち尽くす。
眠っている。
深い。
肩の力が抜け切っている。
触れない、と決めたはずだった。
あの夜、距離を取ると告げられた時に。
触れられない。
目を合わせてくれない。
それを、受け入れると決めたはずだった。
なのに。
「……セナ」
呼んだ声に、微かな反応。
眉が、ほんの少しだけ動く。
そして――
あの言葉。
「……いいよ」
許可じゃない。
意識のない返事だ。
それなのに。
胸の奥で、何かが軋む。
(……ずるい)
こんな形で。
眠っている時に。
拒否も、選択もない状態で。
それでも、
その言葉を、
欲しがってしまった。
ベッドの縁に、そっと腰を下ろす。
軋みが、最小限になるように。
息が、乱れないように。
触れていない。
触れていないのに。
距離が、近い。
体温が、わかる。
呼吸のリズムが、伝わる。
――ここまで。
そう、自分に言い聞かせる。
でも。
セナの寝顔は、あまりにも無防備で。
睫毛の影が、頬に落ちていて。
口元が、少しだけ緩んでいる。
(……俺は)
自分が、どこまで壊れているのか、
わからなくなる。
「いいよ」
その三文字が、
耳の奥で、何度も反響する。
欲しい。
抱きたい。
確かめたい。
でも、それをしたら――
もう、戻れない。
伸ばしかけた手を、止める。
代わりに、
布団の上から、ほんの少しだけ距離を詰める。
触れない。
触れないまま。
呼吸だけを、合わせる。
セナの眠りを、乱さないように。
(……それで、いい)
いいよ、じゃない。
これで、いい。
そう言い聞かせて、
目を閉じる。
欲望は、消えない。
熱も、消えない。
それでも。
今夜は、
“触れない”という選択だけが、
俺に残された唯一の誠実だった。
セナの寝息が、一定のまま続く。
その音を、
壊さないように。
俺は、動かずに、
夜が過ぎるのを待った。




