ふたりの宿
また、この宿だ。
神殿からの転移を終えて、馬車で一日。
冬の空気に身体を慣らしながら辿り着く、いつもの中継地点。
石造りの外壁、控えめな灯り、古いけれど手入れの行き届いた宿。
――恒例、という言葉が浮かぶ。
受付で鍵を受け取った時、私は一瞬だけ口を開きかけて、やめた。
部屋は、ひとつ。
もう、それでいいよね。
変に言葉にすると、余計にぎこちなくなる。
黙ったまま階段を上り、廊下を歩く。
部屋に入ると、外の冷気が嘘みたいに薄れる。
暖炉の残り香。
乾いた木の匂い。
ベッドは、ひとつ。
それも、もう見慣れた配置だった。
荷物を置いて、私は振り返る。
「……シャワー、先に使う?」
いつも通りの確認。
形式みたいなもの。
ラウルは短く頷いた。
「どうぞ」
声は落ち着いている。
でも、少しだけ、遠い。
私は先にシャワー室へ向かった。
湯気が立ちのぼり、身体を包む。
肩に溜まっていた緊張が、じわじわと溶けていく。
(……疲れてたんだな)
学園。
野外訓練。
聖誕祭。
気持ちの整理。
考えないようにしていたことが、湯の中でふっと浮かんで、
でも、深くは掴まなかった。
今は、休む。
髪を乾かし、寝間着に着替えて部屋へ戻る。
ラウルは、まだシャワー室だった。
ベッドに腰掛けて、待つ。
窓の外では、風が木々を揺らしている。
――少しだけ、横になるか。
そう思ったのが、間違いだった。
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたみたいに、
身体が一気に重くなる。
布団に潜り込んだ瞬間、
意識が、すとんと落ちた。
⸻
遠くで、音がする。
扉が開く気配。
足音。
布の擦れる音。
誰かが、そばに来た。
「……セナ」
呼ばれた、気がした。
半分夢の中で、私は微笑んだ。
安心する声だ、とだけ思った。
何か、言われたような気がする。
低くて、慎重な声。
よく聞き取れないまま、
私は、ゆるく頷いた。
「……いいよ」
何が、いいのか。
それすら、考えなかった。
ただ、その声が、そこにあることが、
当たり前みたいに心地よかった。
布団が、少しだけ沈む。
隣に、誰かの気配。
触れられてはいない。
でも、距離は近い。
冬の夜。
静かな宿。
私は、そのまま、深い眠りに落ちていった。
夢も、見なかった。




