オカンは学園へ帰る
「……だからその呼び名やめてほしいんだけど」
焚き火の前で、腕を組んだままぼやく。
「えー? でもさぁ」
「完全にオカンだったよ?」
シアンが悪びれもなく言い放ち、
周囲から笑い声が上がった。
「朝は起こすし」
「飯は用意するし」
「怪我してないか確認するし」
ファルケが淡々と事実を積み上げる。
「違う!」
「それは生存率を上げるための合理的行動であって!」
「はいはい、オカン」
……聞けよ。
でも。
文句を言いながらも、
胸の奥が少しだけ温かいのは、否定できなかった。
最終日。
野外訓練、最終日だ。
朝の森は静かだった。
昨日までの緊張が抜けたせいか、
鳥の声がやけに大きく聞こえる。
空気は澄んでいて、
深呼吸すると、肺の奥まで冷たい空気が入る。
――全員、生きてる。
それだけで、十分だった。
負傷者はいる。
疲労は限界に近い。
それでも、
欠けた命は、ひとつもない。
「……終わるんだな」
ぽつりと呟いた誰かの声に、
誰も返事をしなかった。
終わる。
帰れる。
それは嬉しいはずなのに、
胸の奥に、少しだけ名残惜しさが残る。
変成科の仕事は、
最後まで地味だった。
撤収作業。
地形の簡易復元。
残留魔力の回収。
派手な功績なんてない。
でも。
「変成科、ありがとう」
「助かった」
すれ違いざまにかけられる言葉が、
やけに多い。
上級生の騎士科。
治癒魔術科。
魔術科。
皆、疲れ切った顔をしているのに、
その目は真剣だった。
その中に。
戦闘魔術科の上級生たちがいた。
血の匂い。
焦げた布。
修復しきれなかった外套。
――重い。
一目でわかる。
ここは、変成科の現場とは違う。
前線。
真正面から、魔物とぶつかる場所。
剣を振るう。
魔術を放つ。
判断を誤れば、即、死。
その中で、
上級生たちは、淡々と動いていた。
疲労も、恐怖も、
全部、奥に押し込んで。
「……」
胸の奥が、きゅっと締まる。
ラウル。
ふと、その名前が浮かんだ。
彼は、いつも、
この位置にいる。
もっと過酷で、
もっと血生臭い場所で。
一年生の頃から。
「……そうか」
無意識に、拳を握る。
私は知らなかった。
知ろうともしていなかった。
学園で。
週末で。
同じベッドで眠って。
それだけで、
彼のすべてを知ったつもりになっていた。
でも。
この空気。
この緊張。
この疲労。
それを、日常として生きてきたのが――
ラウルだ。
「……そりゃ、壊れるわ」
ぽつりと零れた本音に、
自分で驚いた。
隣にいたレックが、ちらりとこちらを見る。
「どうした?」
「ううん」
首を振る。
「ちょっと、反省してただけ」
何を、とは言わない。
言えない。
でも、
胸の奥に、確かに沈んだものがある。
撤収が終わり、
合図の笛が鳴る。
「よし!」
「全員、帰還準備!」
その声に、
一斉に安堵が広がった。
誰かが笑い、
誰かがその場に座り込む。
「生きてるー!」
「帰れるー!」
……本当に。
みんな、生きてる。
それだけで、全部、許せる。
「さぁ」
「学園に帰るよ」
自分でも驚くくらい、
自然に、そう言っていた。
「またオカン」
「だからやめてって!」
でも、笑いながら言えた。
族長だった。
オカンだった。
役割は変わる。
でも。
守りたいものがある気持ちは、
変わらない。
森を抜ける途中、
最後に振り返る。
もう、戦場じゃない。
ただの森だ。
それでも。
ここで得たものは、
確実に、胸の中に残っている。
――学園へ帰る。
それぞれの場所へ。
それぞれの戦場へ。
私はもう、
「何も知らなかった頃」には戻れない。
でも、それでいい。
だって。
知った上で、
選びたいから。
歩き出した足取りは、
最終日とは思えないほど、しっかりしていた。




