魔物の襲撃
夜だった。
焚き火は小さく、風は冷たい。
昼間の地獄を越えて、ようやく横になれた時間。
――の、はずだった。
「……聞こえた?」
誰かが、低く言った。
最初は、気のせいかと思った。
枝が折れる音。
獣の足音。
秋の森は、もともと騒がしい。
「……いや、今の、違う」
ファルケの声は、低くて短い。
迷いがない。
その瞬間。
地面が、震えた。
「っ!?」
焚き火の火が、大きく揺れる。
夜の闇の向こうから、重たい気配が押し寄せてくる。
――近い。
近すぎる。
「おい! 魔物接近!」
誰かが叫ぶ。
その声に、背中が冷えた。
「……待って」
セナは、立ち上がりながら思った。
おかしい。
ここは、後方のはずだ。
騎士科と魔術科が前で抑えている区域。
なのに。
「……来るよ!」
シアンの声が、裏返る。
闇の中から、影が現れた。
大きい。
数が多い。
しかも――分断されている。
前線をすり抜けた魔物が、
こちら側に、流れ込んできていた。
「まさか、こっちに来るとは……!」
レックが、歯を食いしばる。
変成科は、戦闘部隊じゃない。
囮でも、殲滅役でもない。
「A班、集まれ!」
自然と、声が出た。
恐怖より先に、
役割が、頭を占める。
「全員、防御優先!」
「攻撃しない! 時間を稼ぐ!」
逃げるためだ。
魔物が、唸る。
牙が光る。
「来る!」
地面に、魔力を流す。
即席の壁。
薄い。
でも、ないよりマシ。
――ガンッ!!
衝撃。
壁が、ひび割れる。
「っ……!」
想像以上に、重い。
「無理! これ、数が……!」
「わかってる!」
セナは叫ぶ。
「だから、身を隠す!」
判断は、早かった。
倒せない。
抑えきれない。
なら、生き残る。
「地形、使う!」
「低地に誘導!」
「視界、切って!」
変成科の得意分野。
地形操作。
視界遮断。
足場破壊。
魔物の足元を崩す。
木々の配置を歪める。
霧を発生させる。
完璧じゃない。
でも、逃げる時間は稼げる。
「今!」
全員が、走った。
息が苦しい。
足が重い。
昼間の疲労が、
一気に牙を剥く。
「……っ、はぁ……!」
転びそうになる。
その時。
「セナ!」
レックの手が、伸びた。
掴まれる。
引き寄せられる。
「ありがとう……!」
礼を言う余裕も、ほとんどない。
背後で、
魔物の咆哮が響く。
近い。
まだ、追ってきている。
「くそ……!」
ファルケが、短く舌打ちした。
「時間が足りない」
――そうだ。
これ以上は、
自力じゃ無理だ。
セナは、腰の魔術具を掴んだ。
「緊急信号、上げる!」
誰も反対しない。
空に向けて、
魔力を込める。
「……お願い……!」
打ち上げ。
夜空に、
赤い光が弾けた。
緊急信号。
上級生の騎士科にしか、
対応できない合図。
「……来て」
祈りにも似た言葉が、
喉からこぼれる。
その間も、
魔物は、迫る。
霧の向こうで、
影が蠢く。
「……静かに」
息を殺す。
心臓の音が、
やけに大きく感じる。
「……怖いね」
誰かが、震える声で言った。
「うん」
否定しない。
怖い。
当たり前だ。
変成科は、
前に立つ科じゃない。
支える科だ。
だからこそ。
「……生き延びよう」
セナは、低く言った。
「全員で」
それが、
今できる、唯一の戦い方。
遠くで。
――笛の音。
「……!」
全員が、顔を上げる。
重い足音。
複数。
騎士科だ。
上級生の、騎士科。
「来た……!」
安堵が、
一気に膝を緩ませる。
その瞬間。
張り詰めていたものが、
ぷつりと切れた。
夜の森で、
変成科は、ただ――
助けを待つ側だった。
そして、はっきりと知る。
ここは、
甘い訓練じゃない。
秋季野外訓練は、
命を落とす可能性がある場所だと。
震える手を、握りしめながら、
セナは、静かに息を吐いた。
――まだ、生きてる。
それだけで、
今は、十分だった。




