送り出す言葉、残る言葉
朝は、驚くほど穏やかだった。
荷物はもうまとめてある。
馬車の時間も、確認済み。
夏季休暇の終わりは、誰にとっても同じはずなのに――
この家を出る感覚だけが、少し違った。
玄関先。
母はいつも通りの笑顔で、セナの身なりを整えている。
「はい、襟ちゃんと」
「ありがとう」
そのやり取りすら、どこか名残惜しい。
ラウルは、少し離れた位置に立っていた。
視線を合わせないわけじゃない。
でも、前の距離でもない。
母が、ふと、真面目な顔になる。
「セナ」
名前を呼ばれて、背筋が伸びた。
「あなたね」
「これからは、我儘になることが必要よ」
一瞬、言葉の意味を測る。
「遠慮しないで」
「譲らないで」
「欲しいものを、“欲しい”って言いなさい」
母は、セナの頬に手を添えた。
「本当に欲しかったものが、こぼれ落ちないようにね」
――胸の奥が、きゅっと鳴る。
何を指しているのか、
言葉にしなくても、わかってしまった。
「……うん」
それだけで、精一杯だった。
次に、父が一歩前に出る。
視線は、セナではなく――ラウルへ。
「ラウル」
低く、落ち着いた声。
「聞いてるか」
ラウルが、はっきりと頷く。
「セナはな」
「選ばれる側でも、支える側でもなく」
「選ぶ側だ」
短い言葉。
でも、重い。
「だから」
父は、間を置いた。
「失わないように、気を付けなさい」
それだけだった。
責めない。
励まさない。
期待もしない。
ただ、事実として、置かれた言葉。
ラウルは、一瞬、息を止めた。
「……はい」
その返事は、静かで。
でも、逃げていなかった。
母が、場を和らげるように、ぱっと笑う。
「まぁまぁ!」
「人生は長いんだから!」
そして、冗談みたいに続ける。
「ラウルと結婚しなくても、いいのよー?」
その言葉に、
ラウルの肩が、ぴくりと揺れた。
セナは、乾いた笑いを零す。
「……それは、それで」
冗談だとわかっている。
でも、完全な冗談じゃない。
今は。
「じゃあ、行ってくるね」
そう言って、セナは一歩、外へ出た。
振り返らない。
ラウルも、並んで歩き出す。
馬車へ向かう背中を、
両親は、何も言わずに見送っていた。
門を抜けたところで、
セナは、ふっと息を吐く。
「……ちょっと、疲れたかも」
「無理しなくていい」
ラウルの声は、低く、静かだった。
その距離は、まだある。
でも。
完全に切れたわけでもない。
馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
動き出す音。
――戻れない場所と、
戻らない選択。
その両方を背負って、
二人は、再び学園へ向かう。
それぞれ、
違う覚悟を胸に抱いたまま。




