外側に取り残される
応接室は、整いすぎていた。
磨かれた床。
揃えられた椅子。
来客用の、少し距離を保つ配置。
――ここは、迎え入れる場所だ。
なのに。
俺は、迎え入れられていなかった。
向かいの席。
礼儀正しく背筋を伸ばして座る女。
茶色の髪。
茶色の瞳。
声も、背格好も、よく似ている。
似ているだけで、違う。
その事実が、喉に刺さったままだ。
両親は、場を和ませるように穏やかな表情を保っている。
でも、察している。
――これは、ただの挨拶じゃない。
俺は、口を開いた。
逃げるためじゃない。
誤魔化すためでもない。
事実を、並べるためだ。
「……俺は」
声が、思ったより低く響いた。
「彼女を、代わりにしていました」
女の指が、ぴくりと動く。
「誰かの代わりに、抱いた」
そこで一度、息を吸う。
「恋愛感情は、ありませんでした」
はっきり言う。
曖昧にしない。
「将来も、考えていません」
視線を逸らさない。
逃げない。
「だから、謝ります」
頭を下げた。
深く。
「あなたを、傷つけた」
沈黙。
次に聞こえたのは、少し掠れた声だった。
「……そんなの、今さらじゃない?」
感情が、滲む。
「抱いたでしょ」
「一緒にいたでしょ」
「身体だけじゃ、ないって言ったじゃない」
責める声。
正しい。
「責任、取ってください」
まっすぐな言葉。
「手を出したんだから」
「選んだんだから」
――選んでいない。
その言葉は、言わなかった。
言えば、さらに傷つける。
両親が、静かに割って入る。
「……あなたの気持ちは、もっともです」
母の声は、柔らかい。
「でも、このまま結婚の話を進めるのは、誰も幸せにならない」
父が続く。
「ここは、一度距離を――」
「嫌です!」
女の声が、弾けた。
「帰りません」
「ここに、居ます」
必死だった。
「だって、私は……」
言葉が、詰まる。
「……捨てられる側になるの、嫌なんです」
胸が、軋んだ。
その時だ。
応接室の外。
廊下の向こう。
――気配。
扉の向こうを、見なくてもわかる。
近づかない。
入ってこない。
目も、合わせてくれない。
数日前まで、
当たり前のように腕にいた温度。
夜になれば、
何も言わずに抱き寄せられた重さ。
――冷えた。
急に。
物理的に、距離を取られている。
触れられない。
声も、かからない。
抱き枕は、復活していたのに。
それすら、今は、ない。
「……」
喉が、鳴った。
女は、まだ何か言っている。
責任。
誠意。
世間体。
全部、正しい。
でも。
俺の頭にあるのは、ひとつだけだ。
――失う。
このまま、完全に。
今まで、
何をしても、
どれだけ壊れても、
そこに“在った”ものが。
静かに。
確実に。
俺の手の届かない場所へ、行こうとしている。
それを、止める資格が。
もう、俺には、ない。
言葉を選ぶ余地もない。
強がる力もない。
だから、最後に絞り出したのは――
「……ここには、居ないでください」
女が、目を見開く。
両親が、息を呑む。
「これ以上、誰かを傷つけたくない」
本音だ。
「俺は……」
声が、かすれた。
「もう、何も持っていない」
嘘だ。
でも、そう言うしかなかった。
廊下の向こう。
気配が、遠ざかる。
足音が、静かに、離れていく。
――ああ。
落ちた。
今までで、一番、深い場所に。
外側に。
取り残された。
その自覚だけが、
遅れて、心臓を締め付けた。
ここから先は、
もう、取り戻す話じゃない。
失ったと、認める地獄の始まりだった。




