不意打ちできた彼女
来るはずがなかった。
少なくとも――
俺の中では、そうだった。
実家に帰る夏季休暇。
セナの両親。
赤子部屋。
あの空気。
そこに、
“彼女”が現れる想定は、
一度も、なかった。
玄関先に立つ姿を見た瞬間、
頭の中が、真っ白になった。
どうして。
なぜ、ここに。
淡い茶色の髪。
整えられた身なり。
少しだけ、セナに似た声。
――リーネ。
名乗られる前から、わかっていた。
「初めまして。
ラウルと交際中の、リーネ・ノエルです」
その言葉が、
胸の奥に、鈍く落ちる。
違う。
違う、はずだった。
学園で。
あの場所で。
あの時間で。
終わった話だった。
俺は、そう思っていた。
けれど。
彼女は、ここにいる。
俺が連れてきたわけでもなく、
許可したわけでもなく、
それでも――堂々と。
選ばれた女の顔で。
声が、出なかった。
言い訳も。
否定も。
拒絶も。
どれも、遅すぎた。
セナの気配が、横にある。
それだけで、
喉が、ひどく詰まる。
――見られた。
この状況を。
この沈黙を。
何より、
俺が何も言わないことを。
両親の動きが、早かった。
場を整え、
応接室へ誘導する。
あの二人は、察している。
俺が、
何をしでかしたのか。
リーネは、落ち着いていた。
驚きも、
遠慮も、
不安も。
何ひとつ、表に出さない。
それが、余計に、きつい。
彼女は、本気だ。
結婚するつもりでいる。
責任を取らせるつもりでいる。
それは、
俺が、そう思わせた結果だ。
セナが席を立った時、
胸の奥が、ひどく痛んだ。
逃げた。
いや――
逃がした。
赤子部屋を理由にして、
距離を取った彼女の背中。
追いかける資格は、
もう、どこにもない。
応接室に残された空気は、
静かで、重い。
リーネが、こちらを見る。
期待と、
確信と、
わずかな不安。
混ざった視線。
俺は、やっと理解した。
不意打ちを受けたのは、
俺の方だった。
セナを傷つけるために選んだ女が、
現実として、
人生に踏み込んできた。
――違う。
こんなはずじゃなかった。
俺は、
セナを取り戻したかっただけだ。
嫉妬させたかった。
縋らせたかった。
それだけだった。
なのに。
自分の手は、
確実に、
別の未来を掴んでしまっている。
汚れた、と。
初めて、はっきり思った。
セナの前に、
立てない理由が、
また一つ、増えた。
不意打ちで来た彼女は、
静かに、
俺の逃げ場を塞いでいた。
そして俺は。
その場で、ただ――
黙ることしか、できなかった。




