夏季休暇
馬車の前で、ラウルは無言だった。
荷物を積み終えた後も、視線はどこか定まらず、
ただ立っているだけ。
以前のように、自然に手を伸ばしてくることはない。
私も、声をかけるタイミングを逃した。
何を話せばいいのか、わからなかった。
――夏季休暇だよ。
一緒に帰るんだよ。
それなのに。
席は、隣同士。
それも、偶然みたいに決まっただけだった。
馬車が揺れ出す。
車輪の音が、一定のリズムを刻む。
でも。
腕は、回ってこない。
前は、当たり前だった。
少し揺れるたびに、自然に支えるように、
守るように、抱き寄せられていたのに。
今は、距離がある。
触れれば届く。
でも、触れない。
その空間が、やけに重かった。
神殿からメレクまでは、転移で一瞬。
そこから先は、馬車で二日。
長い道のり。
窓の外の景色が変わっていくのに、
私たちの間だけ、止まったままだ。
言葉を探して、やめる。
視線を向けて、逸らす。
そんなことを繰り返しているうちに、
一日目が終わった。
途中の宿。
案内された部屋を見て、私は一瞬、立ち止まった。
――ひとつ。
部屋はひとつ。
ベッドも、ひとつ。
以前なら、何も考えなかった。
当たり前に一緒に寝て、
当たり前に腕の中だった。
でも、今は。
どうするんだろう。
私は、鍵を持ったまま、少し迷ってから口を開いた。
「……一緒に寝る?」
声が、思ったより小さかった。
続けて、逃げ道を用意する。
「それとも、今から別の部屋を取る?」
ラウルは、すぐには答えなかった。
部屋の中に入らず、廊下に立ったまま。
表情は読めない。
長い沈黙。
それから、低く、短く。
「……一緒でいい」
言い切りだった。
でも、どこか硬い。
「俺が、壁側に行く」
それだけ。
理由も、説明もない。
部屋に入る。
荷物を置く。
距離を保ったまま、それぞれ準備をする。
夜。
ベッドに横になっても、
身体は、触れ合わなかった。
同じ布団。
同じ空間。
それなのに、まるで別々の夜。
呼吸の音が聞こえる。
背中が、近い。
でも、腕は伸びてこない。
私は、天井を見つめながら思った。
――前みたいじゃ、ない。
何が変わったのか、はっきりとはわからない。
でも、確実に何かが壊れている。
それを、口に出す勇気はなかった。
やがて、ラウルの呼吸が、ゆっくりになる。
眠ったのかもしれない。
眠ったふりかもしれない。
私は、目を閉じたまま、動けずにいた。
夏季休暇の始まり。
一緒にいるのに、
一番遠い夜だった。




