恋人らしいこと
昼の食堂は、いつも通りざわついていた。
食器の音。
笑い声。
パンの焼ける匂い。
その全部が、今日は少しだけ遠い。
視線が、勝手に動いた。
……いた。
淡い金髪。
澄んだ翠の瞳。
背の高い、見慣れた背中。
――ラウル。
その隣に、女の子がいた。
距離が、近い。
胸の奥が、きゅっと鳴る。
(あ……)
視線を逸らそうとして、逸らせなかった。
まるで、目が縫い止められたみたいに。
ラウルが、こちらを見た。
一瞬。
本当に、一瞬。
そのまま――
隣の女の子に、口付けを落とした。
唇に。
軽く。
迷いなく。
こっちを、見たまま。
表情は、ない。
怒っても、笑ってもいない。
ただ、無表情で。
それから、視線を切って、歩き去った。
――息が、詰まった。
心臓が、急に早くなる。
どくん、どくん、って、音がうるさい。
(……あれ?)
おかしい。
何で、こんな。
食堂で声をかけた、あの日からだ。
避けられてる、って思って。
それでも、気にしないふりをして。
なのに。
気づけば、目が追っている。
ラウルが、どこにいるか。
誰といるか。
どんな顔をしているか。
――そして。
恋人と一緒にいる姿を見るたび、
胸が、ぎゅっと痛む。
(……私、傷ついてる)
認めた瞬間、
息が、少しだけ楽になって。
同時に、もっと苦しくなった。
その日も。
私がいるのを、
知ってるのか、知らないのか。
わざとなのか、
偶然なのか。
ラウルは、また。
恋人に口付けをして、
一瞬だけ、こちらを見た。
反射的に、唇が動いた。
声は、出ない。
でも、確かに。
「……私の嫁が、浮気した」
ぽつり。
自分で言って、
自分で可笑しくなって。
笑えなかった。
その言葉に反応したのか、
ラウルが、はっとしたように目を細めて。
――にやり。
ぞくり、とした。
何かを、
“拾われた”気がした。
そのまま、何事もなかったように、
彼は視線を切った。
手元が、冷たい。
気づけば、コップの水に指を浸していた。
「……」
飲み物を取って戻ってきたレックが、
私の顔を見て、少しだけ眉を寄せた。
何か、言いかけて。
でも、言わなかった。
その沈黙が、
やけに優しくて。
余計に、胸が痛んだ。
レックは、隣に座る。
近い。
安心する距離。
手が、触れる。
「大丈夫?」
低い声。
私は、少し遅れて、頷いた。
「……うん」
恋人らしいこと、だ。
こうして、隣にいて。
心配して。
触れて。
――たぶん、正しい。
なのに。
視界の端に残るのは、
無表情で、口付けをするラウルの横顔。
触れない優しさと、
見せつける冷たさ。
その差が、
気づかないうちに、
私たちの間に、広がっていた。
(……なんで、こんなに)
理由は、まだ、わからない。
ただ。
今日の空気は、
どこか、薄かった。




