第70話 潜入
7月11日
駅前の大型ビジョンは、何日も前の映像を繰り返していた。
交差点の信号は、一つだけ点滅を続け、地下への入り口には封鎖の貼り紙が幾重にも重ねられている。
瓦礫に埋もれた通りには、砕けたビルや焼け焦げた標識が点在し、破壊はまるで地図をなぞるように広がっていた。
凶人と凶がもたらす惨禍は止まず、街は静かに、しかし確実に形を失っていく。
空は常に灰色がかり、陽の光は鈍く、空気には焦げと血の匂いが混じっていた。
異能師たちによって討伐されたあとの現場に残されるのは、その残滓。
滞留したそれは、まるで街を異界に染めていくかのようだった。
避難所の隅で。病院の待合室で。炊き出しの列に並ぶ人々のあいだで。
『終焉の灯火』という名が囁かれていた。
希望なのか、絶望なのか。分からぬまま、人々はその門を叩いてゆく。
各地の公共施設では、深刻な人手不足を補うために、行政上層部の依頼で『終焉の灯火』のボランティアが受け入れられていた。
気づけば、公民館も、体育館も、駅の構内でさえも、その腕章をつけた者たちが仕切り始めていた。
「ボランティアです」――その一言が全てを覆い隠す。誰も問わない。誰も気にしない。
異常は、静かに、日常へと染みこんでいった。
東京は、確実に変質していく。
◆◆◆
国家安全維持局の会議室にて。
窓のない薄暗い部屋に、重たい沈黙と倦んだ空気が漂っていた。
モニターに映るのは、街の焼け跡と、リアルタイムで更新される被害件数。
だが誰もメモを取ることはなく、視線だけが画面に吸い寄せられている。
「結局、奴らの目的は何なんだ? 好き勝手に暴れて東京を破壊するだけなのか?」
苛立ちを隠さず声を上げたのは、第二制圧部隊隊長の氷室。
伸びた無精ひげに、丸刈りの頭。疲労の色が濃い。
「凶人の素体となっているのは、間違いなく教団の信者たち。集めた信者を無駄に消費しているだけのようにしか見えないわね」
第一制圧部隊隊長の諏訪が低く返す。
いつもの華やかさはなく、地味なジャケット姿。メイクも殆どしていない。
「俺たちが教団の危険性を説いたところで、もはやその声は届かないしな」
当初は異能師たちをアイドルのように扱ってきた人々も、状況が悪化していく一方の現状に疲れ果て、異能師そのものへの信頼感も薄らいでいた。
「ここで、あーでもない、こーでもないと議論してたところで何の意味も無いですよ」
テーブルに肘をつき、椅子に身を沈めたまま、八雲が口を開く。
痩せた長身に無造作な髪、どこか他人事のような目。
「あ? だったら何か案を出してみろよ」
「内部に潜入するしかないんじゃないですか? 目的を知りたいのなら」
「潜入できたところで、洗脳されない保証がない。それに中枢にいるのは凶度4。危険すぎる」
「だったら……ここでこのまま崩壊していく様子を適当に抵抗しながら、眺めてるだけっすね」
口調は気だるいまま、だが言葉は鋭い。
言い返す者はなく、場が沈黙する。
「俺が行きますよ。目的を探って、帰還する。危険を察知したらすぐに逃げる。絶対に戦わない。それだけ肝に銘じとけばいい。あんたらと違ってメディアには出てないから、顔バレもしてないはず」
その言い方はどこか軽い。けれど、迷いも感じられない。
「綺麗事とか理想論とか、ここでだらだら聞いてるのは時間の無駄っすからね」
沈黙の中、氷室が局長の濱中へ視線を向ける。
「と、こいつは言ってますが、どうしますか?」
長く黙って腕を組んでいた濱中が、八雲を見据えて尋ねた。
「任せても大丈夫か?」
「俺は一匹狼気質なんで。他の連中とつるんで凶人狩りしてるよりは、よっぽどやりやすいっすよ」
◆◆◆
八雲玄悟。
嵯峨野と同じ特務部隊に所属する特級異能師。諏訪とは同期にあたる。
凶との戦いを使命ではなく生存競争と捉えるシニカルな現実主義者は、『終焉の灯火』の看板が掲げられた、その建物の前で足を止めた。
三階建ての古びた公共施設。
今は用途も看板もすっかり変わっているが、入口脇の掲示板や色褪せた防災マップが、かろうじてその名残を伝えていた。
外壁は黒ずみ、塗装の剥がれたコンクリートに新しい看板だけが白く浮いている。
出入り口のガラス扉は曇っていて中の様子は見えず、呼び鈴ひとつない無言の構え。
「お兄さん」
入口から現れた男が、死人のような笑顔で声をかけてくる。
「お兄さんも、疲れちゃったんでしょ?」
「ええ、まあ」
「だったら、うちが歓迎するよ。絶夢様があなたを救ってくださる」
「どうやって?」
「会えば分かるよ。凶も凶人も、ここにいれば手が出せない」
「なんで?」
八雲の問いに、男は一瞬だけ考える素振りを見せ、表情を変えぬまま言った。
「さあ、なんでだろうね?」
「……ま、入れば分かるか。どうすればいいすか?」
あっさり入信の意を見せた八雲に、男は満面の笑みを浮かべて答える。
「手続きはこの中でできるから。さ、行こう」




