第62話 衝撃の拳
新橋を襲った惨劇。
それは、命からがら逃げ延びた人たちのSNS投稿によって瞬く間に全国へ広まった。
凶が日常と化したこの国で、国民はどこか鈍くなっていたのかもしれない。
テレビでは緊急速報が繰り返し流れ、モザイク越しに映し出されるのは血と破壊、悲鳴と沈黙。
地獄のような光景は現実感を失って、まるで映画の一場面のようだった。
都内在住の特級異能師、全員に緊急招集が掛かる。
僕たち高専の学生も例外ではない。
用意されたヘリに乗り込んだのは、僕と久遠寺さん、護国君、一乗谷先輩、そして名前も知らない一年生もいた。
ヘリの中はひどい騒音に包まれていた。
回転音が鼓膜を震わせ、エンジンの唸りが床を伝ってくる。
耳を塞いでも無駄だとすぐに分かるほどの轟音。
会話などできない。
誰もがただ、黙っていた。
重く沈んだ空気。
沈黙の中で、僕は裏能祭を思い出していた。恐らく久遠寺さんも一乗谷先輩も。
そして、僕はもう一つ思い出していた。
あの――銀色の髪に、緑の瞳を持つ中性的な姿。
人間ではない。恐らくは、凶。
その姿を目にしただけで、魂がぞわりと震えるような、禍々しい存在を。
もし、あれがいたら――果たして勝てるのだろうか。
胸の奥から、じわじわと絶望が這い上がってきた。
◆◆◆
汐留シティセンターのヘリポートに到着すると、僕たちはすぐに地上へと降り、新橋方面へ駆け出した。
舗装された歩道を抜け、大通りを迂回しながら現場へ向かう。
すでに周囲には交通規制が敷かれていて、警官や関係車両が緊張した面持ちで動いていた。
そして、現場が見えてきた。
凄惨――その一言では足りない光景。
道路のあちこちに散らばる手足。横たわる遺体。老若男女関係なく。
血の匂いが空気に溶けて、薄い靄のようにあたりを覆っている。
思わず僕は視線を落とした。
でも、その横で久遠寺さんは、まっすぐ前を見据えていた。
怒りとも悔しさともつかない感情を押し殺しながら、目を逸らすことなく、ただ現実を見つめていた。
「おう、来たか。極級!」
後ろから声をかけられ、振り返ると、そこには丸刈りの強面が立っていた。
「お久しぶりです。僕たちは、どこへ向かえばいいですか?」
「ビルやら地下やら、あちこちに散ったらしい。虱潰しに探すしかねぇな」
「分かりました。僕たちも手分けして討伐に当たります」
「頼むぞ」
そのまま駆け出そうとしたが、背後から呼び止められた。
「一匹たりとも逃がさねぇぞ。——分かってるな?」
いつもは眠たそうな顔をしている氷室さんが、今は鬼のような形相をしていた。
◆◆◆
バラバラに散っていく後輩たちの背を見送り、一乗谷も静かに歩き始めた。
すでに他の特級異能師たちの動きは把握している。
手つかずのエリアを探しながら、慎重に歩を進めていく。
そのビルを見上げたのは、たまたまだった。
何かを感じたわけでも、特別な気配があったわけでもない。
自然な動線のなかで、目に入っただけだった。
——そこに、それがいた。
階段の手すりに凭れ、じっと階下を見下ろしている。
190センチを超える自分よりも一回りデカいとすぐに分かった。
赤茶けた髪に、赤い瞳。
その視線が自分に向いたとき、炎に焼かれるような錯覚に襲われた。
圧というには生ぬるい。
本能が焼かれたような感覚だった。
体が動かない。
金縛りに遭ったかのように、一乗谷はその場で硬直する。
それはゆっくりと階段を下りてきた。
足取りは静かだが、周囲の空気ごと押し潰すような威圧がまとわりついていた。
そして、一乗谷の目の前で立ち止まる。
「俺の名は凶星だ。お前、何か能力は使えるのか?」
赤い巨体が、挑発的な笑みを浮かべながら問いかけてくる。
「……受けた衝撃を体内に蓄積して、放出することが出来る」
「ほう、面白ぇな。じゃあ、試してみようか。俺の拳から受けた衝撃、ちゃんと返してくれよ」
言われるままに、一乗谷は静かに異能を発動する。
「満力解放」
赤い男の目が細められる。
その瞳には興味と、わずかな愉悦が浮かんでいた。
「体にオーラも纏えるみてぇだな。さっきまでのゴミカスどもとは、確かに違うらしい」
空気がぐっと熱を帯びる。
張りつめたような圧が、空間そのものを圧縮していくようだった。
「とりあえず、10%からいってみるか。——轟滅拳」
拳が振るわれた。
それは加速ではなく、圧縮だった。空間ごと握り潰して迫ってくる。
一乗谷は細胞レベルで危険と察し、両腕でガードを構えた。
――ドン!!!
世界が砕けたような音がした。
一乗谷の巨体が、爆風のような衝撃と共に吹き飛ぶ。
窓ガラスを粉砕し、分厚いコンクリートの壁を貫通し、さらにビルの外壁を抉って、隣の通りまで一直線に突き抜けた。
衝撃が止んだ場所には、ビルの破片と、転がる一乗谷の姿。
後から、赤い男がその破壊の痕跡を辿るように、ゆっくりと穴を抜けて現れる。
一乗谷はただ地面に転がっていた。
トラックに衝突してもびくともしないその肉体が、今は両腕を異様な角度に曲げている。
「おいおい、衝撃を返すんじゃなかったのか? 俺の拳がどんなもんか、見せてくれよ」
しかし、一乗谷に応える声はなかった。
すでに意識は、途切れていた。




