第60話 予感
「で、準備ってのは何が必要なんだ? とっとと始めようぜ」
凶星は赤く燃える瞳を夜刀に向ける。瞳の奥には、炎の揺らめきのような焦燥と、何かを待ちきれない激情が宿っていた。
「とりあえず、君の出番はまだ先かな」
そう言いながら夜刀は、脚を組んでソファに腰掛けている女――絶夢へ視線を移す。
「まずは絶夢に色々と仕込んでもらう」
絶夢は静かに佇みながら、夜刀の言葉に耳を傾けている。
「色々と支配して欲しい人たちがいてね」
「色々? 不特定多数じゃなくて?」
一見気怠げな声色だが、その裏には素朴な好奇心が覗いていた。
「それでも良いんだけど、出来れば効率よく進めたいからね」
絶夢が小さく頷くと、夜刀はひと呼吸置いて、次のステップを説明する。
「まずは不動産関連の社長を何人か。空きビルや倉庫、それに研究施設も手に入れたい。とりあえず古くても構わない。ただ、防音設備が整っているのが望ましい」
「めんどくせえな。強引に奪っちまえばいいじゃねえか」
「短期的な目線ではその方が手っ取り早いが、長期的に考えるとそれは無しだ」
凶星が見た目通り脳筋全開なやり方を提案するが、夜刀はそれを一蹴する。
「で、次に物流会社の経営層かな。物資や設備の輸送ルートを確保したい。さすがに神居の能力で全てを賄うことは出来ないし」
「確かにトラックとかは何台かあった方が便利ね」
「それと、ドラッグストアや製薬会社の経営層あたりも。あと、研究員も何人か欲しい。私の実験を手伝ってもらう為に」
「あんたを顕現させた人間の研究を引き継ぐんだっけ? もう完成してるんじゃなかったの?」
「ある程度はね。ただ、彼の研究は人間としての形態を残すことに拘り過ぎていた。もっと大胆に変質させれば、より大きなエネルギーを発動できるはずだ」
「なるほど、信者を集めるのはその為ね」
絶夢が納得したようにうなずく。その声音には、夜刀の描こうとしている全体像を掴み始めた気配があった。
「そう。だけど、今から集めても扱いに困るだけだ。諸々の準備を整えてからだな。2~3ヶ月はかかると見越してる」
夜刀の言葉に、凶星が大きく息を吐いた。
「俺はその間、何やってればいいんだ?」
「時々、残り滓どもを大量に召喚して暴れさせてくれればいい。ただし、君が目立つのはダメだ」
「体がなまっちまうだろ」
夜刀は一瞬だけ沈黙し、そして目を細めて言う。
「……誰もいない場所でなら、力を発散してもいい。たまになら」
「へへ、そうこなくちゃな!」
凶星の口元が歪み、満足げな笑みが浮かぶ。
その皮膚に刻まれたひび割れた裂け目がゆっくりと開き、燻るような熾火の光が奥で赤く瞬いた。
「ところで、教団の名前は決めなくていいの? わたしが考えてあげようか?」
絶夢が気怠げに言いながら、ソファに背を預ける。
「ああ、まだ伝えてなかったな。もう決めてる」
「あんたのセンスだとダサい感じになりそうで不安」
「君に言われたくないけどな」
互いに軽口を交わしながらも、どこか楽しげな空気が漂う。
「で、何よ?」
「終焉の灯火。どうだい?」
その言葉を受けて、絶夢は興味深げに何度かその名を口にしてみる。
語感と意味を舌の上で転がすように、静かに確かめる。
「……あんたにしては、悪くないんじゃないかしら」
◆◆◆
世界の理が塗り替えられて、そろそろ一年近くが経過する。
国家戦略研究所は活動を停止されたままだが、凶ではなく異能の研究をメインとしていた高専直属の研究機関の活動は、問題なく継続している。
凶の討伐に駆り出される僕たちは、何となく気付いていた。
戦いの中で、これまでと同じ動きをしているはずなのに、身体の反応がどこか違う。
動きが軽い。力の伝わり方も滑らかで、疲れにくくなっている。
最初は気のせいかとも思った。
だが戦いを重ねるごとに、その変化ははっきりと感じ取れるようになっていった。
これは訓練の成果ではない。
そして、何人もの仲間が同じ感覚を口にし始めた頃——
高専の応用異能学研究室が、僕たちの生体データを再解析したという報せが届いた。
任務後に採取されていた血液や神経反応、筋活動のログをもとに、複数回にわたって検証された結果だ。
結論は、明確だった。
——僕たちは、異能だけでなく、肉体も強化されている。
外見には、何の変化もない。
筋肉が肥大したわけでも、骨格が変わったわけでもない。
ただ、戦場での身体の動きが明らかに違っていた。
感覚が鋭くなったというより、全身が別の力で補強されているような感触。
反応の速さ、踏み込みの強さ、受けた衝撃への耐性──すべてが、以前の自分たちとは段違いだった。
異能を発動していなくても、肌のすぐ外側に、目には見えない何かが常にまとわりついている感覚がある。
それは狙って起こすものではなく、戦闘状態に入ると自然と現れる。
応用異能学研究室は、それを『表層活性領域』と呼んでいた。
通称は『オーラ』。
少年漫画でよく目にする定番の呼び方だが、実際の感覚としてはこれ以上なく的確だった。
シグマコードの活性によって生じる、ごく薄い外殻のような層──防御と反応の両方を補助する、生体の外側に形成される保護構造だという。
異能の強度に応じて、その層の密度には個人差があるらしく、僕の身体は、すでに凶度3の攻撃をまともに喰らっても、かすり傷ひとつ負わないほどになっていた。
しかし、この変化は、世界が確実に悪い方向へ進んでいる証にしか思えなかった。
強くなるたびに感じるのは、まだ姿を見せていない、異界のさらに奥から現れる『より悪しき存在』がこちらに近づいてきているのではないか、という予感だった。
僕たちの不安は、静かに、けれど確実に膨らんでいった。




