第58話 深淵と死滅と絶望
10月8日。
『国家戦略研究所の主任研究員による非人道的な人体実験について、続報です。昨年から続発していた連続失踪事件との関与は、警察当局の調べにより事実上、確定的となりました。これまでに判明した被害者数は数十人にのぼり、今後の捜査次第では百名近くに達する可能性もあるとのことです。尚、今回の事件を受け、研究所の全活動は無期限に停止される見込みとなっています。凶による被害が拡大の一途をたどる中、異形に対抗するための唯一の研究拠点を失うことに、政府関係者の間では極めて深刻な懸念が広がっています。国家の存亡にもかかわる重大局面にあって、政府は痛みを伴う決断を強いられました。』
ニュースキャスターが原稿を読み上げる声を、僕はどこか他人事のように聞いていた。
画面の向こうで淡々と流れる衝撃的な事実を、現実だと受け止めきれずにいた。
僕たちがこの事件を知ったのは、一昨日のことだ。
まさか、あの温厚そうな粟国さんが、裏でそんな恐ろしいことをしていたなんて──。
誰もが信じられない気持ちだったが、一番ショックを受けていたのは仙崎さんだった。
久遠寺さんに対する推し活動すら当面は自粛すると言っていた。
これから、この国はどうなっていくのだろう。
漠然とした不安が、胸に広がる。
そんな僕とは対照的に、祇園君はいつもの調子だった。
「これで膿が出たっちゅうことやろ? 早よ発覚してよかったやん」
呑気に笑う彼を見ながら、僕はただ、答えのない未来を思った。
◆◆◆
都内某所。
夜刀が生活する高級マンション、その最上階の一室。
冷たく磨かれたフローリングと、最低限の家具だけが置かれた無機質な空間。
窓の外に広がる街の灯を『死滅』と『絶望』は無言で見下ろしていた。
日中には、実際に街へ出て、人の多い場所などを歩きながら、その在り様を肌で確かめてもいた。
異形としての本性を隠しながら、静かに、しかし確実に、この世界のあり方を読み取っていく。
見た目は、あくまで人間のように見える。
だが、二人の周囲に滲む禍々しさまでは、隠し通せなかった。
「ある程度、見て回ったが──ゴミみてぇなカスしかいねぇな、こっちには」
身長二メートルを超える壮年の男、『死滅』が口を開く。
全身を鎧のような筋肉で覆い、威圧的な存在感を放ちながら、腕を組んで嘲るように笑った。
「あ、そうだ。俺も名前を決めてみたぜ。こっちじゃ俺らのことを凶って呼んでるらしいな。だったら俺は凶の中のスター、凶星だ。どうよ?」
それに応じたのは、腰まで届く黒髪に赤のメッシュを差した若い女──『絶望』。
見た目は20歳前後。
その存在はどこか幻想的で、だが同時に、底知れぬ不気味さを含んでいた。
「……あんたには、そういう単純なのが合ってるわね。てか何よ、夜刀って。意味が分からない」
「ほう、それじゃ君は何にするんだい?」
夜刀が尋ねる。
「絶夢よ。夢を絶つって、素敵な響きじゃない?」
「……凶星と同じレベルだな」
「どういう意味よ?」
絶夢が目を細めるが、夜刀は肩をすくめて話を切り上げた。
「まあいい。君たちを呼び出したのは他でもない、ちょっと手伝ってほしいことがあってね」
「いいぜ。向こうでも暇してたとこだしな」
「即答しすぎにも程があるでしょ、この脳筋親父。少しは話を聞きなさいよ」
絶夢が容赦なく突っ込む中、夜刀は気にも留めない様子で口を開いた。
「技術的な部分は、もう完成している。あとは……そうだな、分かりやすく言えば莫大なエネルギーってところか」
「はいダメ。技術とかエネルギーとかじゃなくて、要するに何がしたいのかを聞いてるのよ」
「あれを——『夢幻の終焉』を、この世界に連れ出したい」
「は?」
絶夢の瞳が、大きく揺れる。
「召喚して……それでどうするの?」
「どうもしない。観測するだけだよ。異なる理が交錯した時、この世界がどんな反応を見せるのか──見てみたくないか?」
「あんたって奴は……」
絶夢は呆れたように首を振った。
「グハハハハ!! そいつは面白そうじゃねえか! とんでもねぇ反応起こして、このカスどもが進化しちまうかもしれねぇしな!」
凶星が豪快に笑い、絶夢も目に妖しい光を宿す。
「……まあ、確かに面白い遊びにはなりそうね。あんたが起こす終幕劇、最後まで見届けてあげるわ。わたしも——」
そして、微かに唇を吊り上げて。
「ずっと、ずーーーーっと……退屈してたから」
二人の反応を見て、夜刀は満足そうに小さく笑うと、話を続けた。
「で、必要なエネルギーを集める方法なんだが、この世界には便利なシステムがあってね」
「システム?」
絶夢が首を傾げる。
「宗教ってやつだ。自分の崇拝する神のためなら、命も財産も喜んで差し出す個体がいくらでもいるらしい」
「ほう。で?」
「絶夢に神になってもらおうと思ってね。うってつけの能力を持ってるし」
夜刀の言葉に、絶夢は目を細め、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……なるほど。面白いかも」
「よし、じゃあ早速始めようぜ」
凶星が勢いよく立ち上がると、床板がわずかにきしんだ。
「座りなさい、脳筋親父。そんな単純に進められるわけないでしょ。色々と準備しないとダメよね?」
絶夢が冷静にたしなめると、夜刀も軽く頷いた。
「その通り。あ──神居」
これまで一言も発さず、ソファに寝転がったままスマホを弄っていた神居に声をかける。
「君も手伝ってくれるよな?」
神居はスマホから視線を上げることもせず、大して興味も無さそうに。
「ああ、いいよ。出番が来たら声かけてくれ」




