第53話 同じ頂に至るための道筋
個人研究補記(九月) 粟国玄道
白神君という個体について、私は常に特別な認識を抱いている。
完全覚醒、単回注入、異能出力の定格超越──いずれも統計の外側に位置する特異点であり、既存の観察枠を逸脱していた。
今もなお、彼との定期的な対話と所見交換は、この研究における貴重な参照点であり続けている。
そして今、白神君に次ぐ特級被験者がいる。
糸月小夜──白神君に伴われ、自ら進んでこの扉を叩いた。
その構造は、生来の異能素質を持つ個体の中でも、極めて高位に属する。
意図的な精神負荷──すなわち暴走行為の繰り返しは、白神君の経験から、自己強化の可能性を読み取った上での選択だった。
だが、その代償は決して小さくない。
注入開始時点で、糸月君の肉体には複数箇所に微細な損傷が蓄積しており、筋線維の反応速度には全体的な低下が見られた。
また、精神面においても、興奮時と沈静時の神経応答差が縮小し、反応閾値の鈍化が進行している。
平常時の脳波パターンにも軽度の攪乱が確認されており、過度の出力負荷による中枢の疲弊が推測される。
それでもなお、彼女は注入を受け入れ、変質の先へ進もうとしている。
夜刀より抽出された深層滴は、従来の凶因子とは本質的に異なっており、活性波の分布も複雑だった。
この滴をそのまま投与すれば、白神君のように一度で覚醒する可能性もあったが──糸月君の現在の状態では、肉体の反応強度と精神の安定性に乖離があったため、私は段階注入の方式を採ることにした。
第一回投与は、彼女の来所から約八ヶ月を経た今月初旬に実施された。
以降、段階的な注入を三度行い、毎回の後に異能応答の変化が見られている。
初期値63%だったシグマコードの活性率は、今日、ついに76%に到達。
設定していた活性目標──80%に向けて、明確な到達圏内に入った。
だが彼女には、なお余白がある。
変化はすでに外見にも現れ始めている。
頭頂部に数本の白毛が確認され、視認レベルでの虹彩変色も生じた。
赤色成分が眼球周辺に滲み、瞳孔収縮の反応時間がわずかに短縮。
自律神経系の応答が、異能制御と部分的に同期を始めている証左と見られる。
肉体面では、反射応答の鈍化と同時に、異能発動時の全身神経系への電位波が従来より整ってきている。
これは、異能の発動が「行動」ではなく「構造反応」として定着し始めた兆候であり、白神君が完全覚醒後に示していた生理的特性とも重なる。
ただし、糸月君はまだ完成には至っていない。
覚醒は進行中であり、活性率80%を超えた段階で、このフェーズにおける目標値は達成される見込みだ。
だが、その先に待つのは単なる安定ではなく、構造的負荷の顕在化である可能性もある。
現段階でも、睡眠サイクルに断続的な乱れが観測されており、浅層睡眠中における異能の自動連動反応が確認されている。
活性の上昇と共に、統制と自我との平衡が変化する兆候だ。
自我との均衡が崩れた場合、異能の発動は意思による選択から外れ、自動的かつ暴発的な挙動へと移行する危険がある。
しかし、それでも進ませる価値があると私は考えている。
白神君と同じ頂に至るための道筋は、一つではない。
分割投与によって、制御された進化を果たすこと──それが実証されれば、この手法は以後の被験者にも適用可能になる。
彼女はその可能性の証明体であり、試金石でもある。
観察は、続く。
──了──
◆◆◆
9月16日。
「おっ、爆炎の王のご登場や!」
後期初日の朝、教室に入るなり、祇園君の元気な声が響き渡った。
「……やめてよ。あの配信の後、せっかくの地元だったのに、外もまともに出歩けなかったんだから」
「ま、それが極級異能師の宿命や。遅かれ早かれ、お前の実力はバレる運命やったんや」
「実家に野次馬は押しかけるし、どうやって入手したのか、僕のSNSにもDMが大量に……」
そこで、ふと一つの疑念が胸をよぎる。
「まさか祇園君……君が漏らしたとか、ないよね?」
「ア、アホなこと言うな! そんなことするかいな! ワシら親友やぞ!」
「……本当に?」
「当たり前やんけ! ワシは正々堂々、自慢したるんや!」
「正々堂々?」
僕の問いに、祇園君は一度言葉を切り、ちらりと僕を見た。
「来月な。地元の同級生が、修学旅行でこっち来るんや。で——」
口元をわずかにほころばせ、祇園君は続けた。
「お前を紹介してほしいっちゅう女子たちがおってな。一緒に飯でも行こや、って話や!」
「え? いや、それはちょっと——」
僕の言葉を遮るように、鈴の音みたいな声が飛び込んできた。
「透真君がそんなのに行くわけないでしょ!」
久遠寺さんだった。
助かった。
初対面の女の子たちとまともに話す自信なんて、僕にはない。
「祇園君、夏休みの間に平和ボケでもしたのかしら? 私たちは凶との戦いの最前線にいるのよ」
「せ、せやけどな……出雲崎もたまには羽伸ばさんと、戦いのストレスで参ってまうやろ?」
「知らない人と過ごす方が透真君にはストレスよ。親友なら、それくらい分かるでしょ?」
「ぐぬぬ……」
祇園君は押し込まれる。
だが——
「せや! ほな出雲崎が決めたらええやん! お前も男やろ!? 女子に囲まれてチヤホヤされたい思わへん?」
「透真君はそんなこと、興味ないわよね?」
二人の視線が、僕に突き刺さる。
「ぼ、僕は——」
女子にチヤホヤされる?
キャバクラみたいな感じ?
うーん、ちょっと想像してみたけど……
面倒くさいだけかも。
「久遠寺さんの言う通り、僕、知らない人と上手く喋れないし……別に、チヤホヤされたいとも思わないかな」
「ほらね!」
久遠寺さんは、勝ち誇ったように祇園君にニヤリと笑みを向けた。
「う、嘘やろ……? 女子にチヤホヤされるなんて、ワシら男の夢ちゃうんか……せっかくお前を利用して——」
「利用?」
「い、いや! 何でもない! そろそろ先生来るし、席戻ろか!」
そそくさとその場を離れる祇園君だった。
小さくため息をつきながら思う。
……僕のブームなんて、すぐに終わるだろう。いや、終わるよね?




