第50話 極級異能師としての覚悟①
8月28日。
夏休み——僕は実家に帰っていた。
とはいえ、のんびりしていられる日ばかりでは当然なかった。時々呼び出しがあり、出動もしている。
それでも基本的には、冷房のきいた部屋でごろごろして、だらっと過ごす時間の方が多かった。
久遠寺さんも一緒に戻ってきていたけど、挨拶回りで忙しいらしく、会っていない。
政治家の家族って、大変なんだな。
などと考えていたら、スマホに着信が入る。
小値賀先生だった。
いつもより少し緊張を帯びた声。
「今から学校に来い」
「また出動ですか?」
「そうなる。が──今回はいつもとはちょっと違う。詳しくは学校で説明する」
それだけ言い残して、通話は切れた。
◆◆◆
電車に揺られて、学校に到着する。
日はすでに高く昇っていて、駅からの道のりだけで汗が滲む。
うだるような暑さに顔をしかめながら、校舎の中へ足を運んだ。
職員室に入ると、小値賀先生と談笑している見慣れた姿があった。
嵯峨野さん。
何だかんだで、直接会うのは久しぶりだ。
相変わらず、影のような雰囲気をまとっている。
「お、来たか」
小値賀先生が僕に気づき、軽く手招きする。
「嵯峨野さん、お久しぶりです」
「おう、久しぶりだな。どうだ、異能の制御は? もう完璧か?」
「完璧というほどではないですが、ぼちぼちですかね……」
そんなやり取りを終えると、小値賀先生が本題に入る。
「今回の任務は、嵯峨野とお前のコンビだ」
「え? 僕と嵯峨野さんですか?」
嵯峨野さんと一緒に現場へ出たことは、これまで一度もない。
極級が二人揃って出動するなんて、かなり異例の事態に思える。
「そうだ。──で、任務の内容だが……お前、凶人は知ってるよな?」
「あ、はい。最近話題になってる。人間のような、凶のような何か……とか」
僕はテレビやSNSで断片的に映し出された映像を思い浮かべる。
「あれは人間だ。いや──元・人間と言った方がいいか」
嵯峨野さんが言う。
「え? そうなんですか?」
「仕組みはよく分かってないが、異能の暴走と関係してるのは間違いなさそうだ」
扇風機の風が背後で回っている。
僕は、ふと疑問に気づく。
「……あれ? ちょっと待ってください」
「何だ?」
「今回の討伐対象って、凶人なんですか?」
「……そうだ」
「彼らって、人間──じゃないんですか?」
それに答えたのは、嵯峨野さんだった。
「さっきも言ったが、元・人間だ」
元・人間。
元も何も、人間なんじゃないのか?
その言葉の意味が、どうにも引っかかる。
「重い案件なのは分かってる。正直、お前にはまだ早いと思ってる」
小値賀先生の声は、どこか苦しげだった。
「だがな。今回、お前を指名したのは俺でも維持局の上でもない。嵯峨野だ」
「え……嵯峨野さんが?」
思わず嵯峨野さんに視線を向ける。
「氷室さんや諏訪さんでも、能力的には問題ない。けど、今回はお前と行くことにした」
「な……何でですか?」
僕の問いに、嵯峨野さんはまっすぐ答えた。
「極級異能師として、越えるべき壁は能力だけじゃない。これから先、お前はその壁をいくつも乗り越えていくことになる。──俺たちの仕事は、どこかで必ず終わりが来る。それがいつかは分からない。今、極級異能師は俺とお前の二人だけだ。もし俺が倒れたら、お前がこの役目を継ぐことになる。まだ見習いだからなんて甘えは、もう許されない」
その声は炎のように、だけど静かで、真っ直ぐだった。
重く、真っ直ぐで、逃げ道のない責任がそこにあった。
「……分かりました」
僕は、腹を括るしかなかった。
◆◆◆
夕方になり、僕と嵯峨野さんは学校を出発した。
助手席に座る僕の横で、ハンドルを握る嵯峨野さん。
車内には一言も会話がなかった。
蝉の声も届かない密閉された空間に、重たい沈黙だけが満ちている。
窓の外では、街が少しずつ色を失っていく。
熱気を残したまま、空は静かに暮れていった。
目的地は、閑静な住宅街のはずれにひっそりと建っていた。
蔦が這うひび割れた外壁。時が止まったような古びたビル。
別の異能師によって割り出された、凶人の潜伏場所だ。
現場に到着し、車を降りる。
辺りはすっかり暗くなっていて、街灯がぽつぽつと歩道を照らしている。
遠くの住宅から漏れる明かりや、自動販売機の青白い光が、静まり返った道に浮かんでいた。
見上げれば、雲の切れ間から月が顔を出し、雑居ビルの輪郭をぼんやり照らしている。
時間は、夜の八時を少し回ったところだ。
風はなく、空気はやけに澄んでいた。
「……不気味なほど静かですね。それに瘴気もあまり感じないというか」
「ま、人間ではなくなったからといって凶になったわけじゃない。どうなってるのかは見て判断するしかないな」
「でも、何かがいる気配は感じます」
「ふっ……お前もプロっぽくなってきたな」
そう言って嵯峨野さんはニヤリと笑みを見せると、淡々とビルの中へ歩みを進めた。
僕も急いでその後ろに続く。
曇ったガラスの向こうに、淀んだ空気が広がっているような気がした。




