第47話 初陣
6月29日。
護国真道は朝から緊張していた。
朝のHRで、初めての実戦任務を言い渡されたのだ。
——普段の見回りとは違う。今回は『戦う』という明確な目的がある。
じめっとした梅雨の空気が、肌にまとわりつく。
濡れたアスファルトからは、湿った匂いが立ちのぼる。
護国は無言で、バスの到着を待っていた。
その横には、今日の任務に同行する先輩たちがいる。二人とも、自分のサポートと聞いている。
休み時間には、居ても立ってもいられず、透真の元へ駆け込んだ。
「護国君なら大丈夫だよ。僕は……まあ、大変だったけどね」
「大変? 師匠がっすか?」
透真への尊敬が高じて、護国は自然と『師匠』と呼ぶようになっていた。
無口で優しげなその背中に、揺るぎない芯を感じているのだ。
「うん。定期見回りのときに、たまたま凶度3に出くわしちゃって。で、その時は力の加減が全然できなくて……暴走しちゃったんだ」
「暴走……?」
透真は少し肩をすくめて、苦笑いを浮かべる。
「団地一棟、吹き飛ばしちゃってさ」
「…………」
想像の斜め上を行く災禍だった。
「それからしばらく、夜中に目が覚めるようになって。悪夢っていうか、まあトラウマかな」
護国は、尋ねたことを後悔し始めていた。
そのとき、背後から声がかかった。
「なんの話だ?」
振り向けば、一乗谷龍成。
鋭く切り揃えた髪に、どこか獣めいた雰囲気をまとう男。
鋭い目が護国を射抜くように見つめていた。
「あ、おはようございます。護国君が初めての実戦で、そのアドバイスを聞かれてまして」
「なるほどな。実戦か……まあ、去年までとは状況が変わった。お前が出るってことは、相手は凶度3だな?」
「うっす。そう聞いてます」
「俺が初めて凶度3とやったのは二年の時だった」
懐かしむように、だがどこか警鐘を鳴らすように一乗谷が語る。
「俺は衝撃を受けすぎて、力のリリースで隣のビルの壁までぶち抜きかけた。奴らの力が分かってなかった。必要以上に慎重になりすぎた。力むと余計にやらかす。肩の力を抜け。それが、今の俺からお前に言えるすべてだ」
◆◆◆
バスに揺られ、辿り着いた先は錆びと埃の匂いが立ち込める廃工場。
業務委託の異能師が発見したが、対処不可とのことで近隣の高専にヘルプが回った。
「おい、あんまり緊張するなよ。極級のお前が緊張してたら、こっちにまで伝染してくるんだよ……」
「う、うす」
「大丈夫だって。私たちもちゃんとサポートするから。てか、私たちは補助系だから戦力としては期待しないでね」
「うす」
三人は並んで工場の内部へと踏み込む。
軋む足場。天井の高い空間が、ひっそりと沈黙している。
空気が重い。
視界は暗く、奥行きがわからない。
それでも──いる。
言葉では説明できない何かの存在が、皮膚の奥にじんわりと染みてくる。
そのとき、護国が何かに足を取られた。
「うわっ──」
転びかけて地面に手をつく。
掌に痛み。錆びた鉄の角が皮膚を裂き、血が一滴、ぽたりと落ちた。
そして、沈んだ。
血は広がることもなく、染みることもなく、まるで“吸い込まれるように鉄板の中に消えた。
護国は手のひらを見つめたまま、何かを考える。
そして、顔を上げた。
「先輩方。今から能力を発動するんで、絶対に俺より前に来ないでください」
太い眉がぐっと持ち上がり、真っすぐな目が二人を捉える。
冗談ではないと、二人もすぐに察した。無言で頷く。
「起点創界」
護国は静かに呟いた。
何も変わったようには見えない。
だが、それはただ目に見えないだけだ。
護国の前方に広がる空間では、確かに世界の理が一つ、静かに書き換えられた。
慎重に、三人は歩を進める。
足音を抑え、周囲の影を注視しながら、音も気配も呑み込まれる空間を進む。
──そして。
いた。
暗がりの奥、静かに、だが確かに、それがこちらを見ていた。
鉄骨を蹴り、床を滑り、低い姿勢のまま一直線に──狙いは護国。
飛び込んだ、その瞬間だった。
凶の足が、ぬるりと鉄板に沈んだ。
右足が膝まで、次いで左足も腰まで。
何の抵抗も出来ない。ただの液体のように、金属が肉を呑み込んでいく。
止まれず、手をつく。
手首が沈む。肘が埋まる。
もがく。暴れる。だが、動けば動くほど中に入っていく。
頭を振った。顎が埋まる。喉が消える。
静かに、凶は鉄に吸い込まれていく。
そして──全てが沈み、跡形もなくなった。
ただの、冷えた鉄板と凶の黒い残滓だけがそこに残った。
護国は能力を解除した。
「ふぅ、終わったっす」
息を吐いたその背で、二人の先輩は固まっていた。
しばらくの沈黙のあと、ようやく言葉が出る。
「……な、何だ今の? 何したんだ、お前?」
「俺の前方では、有機物が金属に接触すると、その内部に侵食されるように理を変えました。俺の血が鉄に染み込んだのを見て思いつきました」
護国は少し得意げに言う。
「……」
「……え、ちょっと待って。それってさ。もし君が途中で振り向いてたら、私たち、どうなってたの……」
「……」
護国は「理を変える時はもっと慎重に範囲を決めよう」と心に刻むのだった。
護国 真道
・国家戦略高専一年
・極級異能師(見習い)
・能力名『起点創界』
世界の理を一時的に自分起点で上書きできる。
たとえば「重力が上からではなく横からかかる」など。
一度にひとつの理だけ変更可能。環境も敵もそれに従う。




