第33話 新しい世界
12月22日。
テレビ画面には、各地の監視カメラや視聴者提供の映像が次々と映し出されている。
「次はこちら、大阪・なんばの地下街からの映像です。……ご覧ください、通路中央、床を這うように動く黒い塊……あれが凶と呼ばれる異形の一体とみられています」
「……四足ですね。獣のような姿……でも、形が安定していない。尾のようなものが周囲の人に触れて……」
「はい、触れられた人が次々と膝をつき、その場に崩れ落ちています。意識はあるようですが、まるで急に力が抜けたような……」
「国家安全維持局によると、凶の中には生命力を直接吸い取る個体もいるとのこと。あの獣型はまさにそれに該当する可能性が高いです」
「通行人が次々と倒れていく……これでは、逃げることすらできません……!」
「触れられただけで立てなくなる。今、そこにいるだけで命が削られていくようなものです——それが現実になったということですか……」
◆◆◆
僕は裏能祭で出会った、銀髪で緑の瞳をした存在のことが、どうしても頭から離れなかった。
あれは絶対に人間ではない。
でも、これまでに倒してきた人型の凶とも違う。
僕たち人間よりも、ずっと上の、まるで次元の違う存在。
そんな何かだった。
「どうしたんだい、出雲崎君? 顔、暗いよ? 授業前なのに珍しいね。あ、もしかしてさ、これから現場続きになるとか……? いや、そりゃそうだよね……こんな事態、普通に考えて放っとかれるわけないし……」
仙崎さんはいつも通り優しい声で気遣ってくれていた。けれど、ふと何かに気づいたように、その目が大きく見開かれる。
「……って、ちょっと待って!? え、え!? ってことはもしかして……御影様も現場行き!? えっ!? 御影様が!? 毎日!? 現場!? そしたら授業来なくなる可能性、めっちゃ高くない!? うそでしょ!? 無理、マジで無理、尊いお姿が……もう拝めない!? いや待って、聞いてる!? それってつまり……私の毎朝の生きるモチベが!! 崩壊するってことじゃん!? 尊い空気、御影様が吸ってる酸素だけで生きてたのに!! なのに!? それがゼロ!? もう学校じゃ呼吸できないんだけど!? ねぇお願い、出雲崎君!! 現場での御影様の様子、逐一報告して!? 五・七・五でも箇条書きでもいいからッ!! 文字でも音声でも何でもいいから!! 尊みを!! 供給してぇぇぇぇぇ!!」
いつもの早口スイッチが入ると、一気に捲し立てて、最後には息切れしていた。
……僕はちょっと笑って、でも内心は笑えなかった。
そういえば。
あのとき僕の能力が、発動しなかった理由は何なんだろうか。
科学的な知識の深い仙崎さんなら、もしかしたら何か分かるかもしれない。そう思って、僕は聞いてみる。
「仙崎さん、ちょっと質問なんだけど。この前の裏能祭で、僕が出会った何か……凶みたいだけど、違うような存在に触れていた時、僕の異能が発動しなかったんだ。こういうのって、何か思い当たることある?」
「ん? どういうこと? そもそも凶のようだけど違うって、どういう意味?」
「見た目は人間そっくりだった。銀髪に、緑の瞳で。でも、言葉にできないんだけど、絶対に人間じゃないって、そう思わせる何かがあった。本能的にヤバいって察知して、反射的に能力を使おうとしたんだけど……反応がまったく無くてさ」
「……ふむふむ。で、凶ではない可能性が高い?」
「うん。あんなに『ちゃんとした外見』の凶って、聞いたこともないし」
仙崎さんの顔つきが、真剣になる。
さっきまでの穏やかな雰囲気は消えて、理知的な目が鋭く細まった。
「……それ、もしかしたら2~3年前に一度だけ観測された事案かも。嵯峨野さんが対応したけど、解決できなかったって話。凶度4。今までで唯一、観測された例」
「……え? 凶度4なんてあったの?」
「うん。詳細は不明だけど、普通じゃない凶って点では共通してるね。見た目は完全に人間で、会話も成立したとか」
「……嵯峨野さんでも解決できなかったって、相当ヤバいじゃん……」
仙崎さんは腕を組みながら、説明を続けた。
「凶ってね、メタ粒子をエネルギー源にしてるんだけど、その体内には『暗黒物質』を内包してる。これがこの世界で奴らが存在を維持し、力を発揮する根本の部分。そしてね、凶度が上がるにつれてこの暗黒物質が変質していくの。たぶん、それが異能への影響に関係してるかもしれない」
「つまり、変質した暗黒物質が僕の能力に干渉したかもって……?」
「うん。でも暗黒物質って名前の通り、科学的にもまだほとんど解明されてないの。何が起きても不思議じゃない」
「……そっか。じゃあ、どうすれば……?」
仙崎さんは肩をすくめて、軽く笑った。
「そこはもう、出雲崎君の勘でなんとかするしかないでしょ」
「……」
さらっと言ってくれるなぁ。
いやマジで、あれが本気で攻撃してきたら……
僕、たぶん――死ぬと思うんだけど。
◆◆◆
「おう、出雲崎。裏能祭の後、糸月の姿見かけたか?」
放課後、修行を終えて寮へ戻る道すがら。校舎裏の小道で、一乗谷先輩が自販機の前にもたれかかっていた。
「糸月先輩ですか? そういえば見てないですね」
僕が立ち止まって答えると、先輩は缶コーヒーを振りながら眉をひそめる。
「あいつ昨日から授業にも出てないらしいんだよ。あの糞真面目女がサボるとか、考えづらいんだが……」
「裏能祭で刺激を受けて、秘密の修行にでも出たとか?」
軽く言ってみると、先輩は缶を開けながら肩をすくめた。
「う~ん、だったら良いんだがな。最近ちょっと変だったんだよ。なんか……張りつめてる感じが抜けた感じで」
「そうだったんですか」
「お前の力を見てから、だいぶ自信なくしてたっぽいな」
「え?」
「あれだけ一番になることにこだわってた奴が、あっさり白旗を上げてたしな」
そう言って、先輩は冗談っぽく笑った。
けれどその奥に、ほんの少しだけ心配の色が見えた気がした。
「で、あいつがいないとお前はこれから現場にしょっちゅう駆り出されることになるぞ。冬休みとか無くなるかもしれん。覚悟しとけよ?」
「……えぇ……」
冗談めかした口調に乗せて、地味に重い宣告が飛んでくる。
「ま、見かけたら俺が心配してたって伝えといてくれ。」
「分かりました」
一乗谷先輩は軽く手を振り、そのまま背を向けて歩き出した。
夕暮れの風が背中を押すように吹いて、僕の中には妙な不安だけが残った。
でも――多分、大丈夫だろう。根拠は無いが、そう思うことにした。




