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熱を感じない僕が異形を焼き払ってみた結果、日本に数人の国家資格「極級異能師」に認定されてしまいました  作者: 堅物スライム
第一章 異能は目覚め、物語は始まる

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第32話 平和の終わり

 おぞましく、禍々しい何かがこの世界を塗り替えていく。

 空間は歪み、視覚と聴覚が噛み合わず、天と地の境界さえ曖昧になっていく二分間。


 異常が去ったあと——静まり返った会場の隅で、糸月と白神はその余韻の中にいた。


「ハハッ、すげーな。……なんだったんだ、今の。夜刀やとうの奴、凶度5でも顕現させたのか?」

「きょ、凶度5!?」

「極級が何人いたところで、どうこうできるレベルじゃねぇな」


 白神の赤い瞳が、興奮に揺れていた。


「あれがこの世に堕ちたら何が起こるんだ? 世界はどう変わる?」


 ぶつぶつと独り言を繰り返す白神に、糸月が話題を引き戻す。


「そ、それで……先ほどの極級への話ですが、どうやって到達したんですか!?」

「ん? ああ、そうだったな。……ま、ぶっちゃけ、今のお前じゃ無理だ」


 遠慮なくストレートに突きつけられた現実に、糸月は一瞬ひるむ。

 それでも、食い下がった。


「わかってます。あたしが特級の中でも下の方だって、自分が一番わかってる……。でも、超えたいんです。特級を!」


 切れ長の瞳に、まっすぐな光が宿る。


「なぜだ? その先に、お前は何を求める?」

「——限界を、認めたくない! 生まれた瞬間に勝手に決められた壁を、ぶっ壊したいんです! 限界を受け入れることは、自分に負けを認めることだから。あたしは負けたくない! 誰にも、自分にも!!」


 その言葉に、白神の目が細められる。

 そして、笑った。


「……いいだろう。ついてこい、お前は昔の俺だ。同じ道を辿らせてやる」

「ほ、本当に!?」

「——ただし、覚悟しとけよ。死んだ方がマシだと思えるような目に、何度でも遭うかもしれん。それでも、来るか?」


 糸月は、即答した。


「全部、覚悟の上です。楽に越えられる壁なんて、越える価値もない。苦しくて、痛くて、泣きたくて、死にたくなるくらいじゃなきゃ、やりがいなんて無いんです!」


 ◆◆◆


 夜刀が顕現させた何かによって、世界は一瞬で塗り替えられた。

 空気は変わり、常識がひっくり返る。


 ——そして、それは現実世界に浮かび上がった。


 これまで異能師にしか視えなかった異形が、誰の目にも、はっきりとその姿を晒し始めたのだ。


 凶が、実体を持った。


 渋谷の交差点。

 スクリーンの広告がノイズに塗れ、どこからともなく聞こえてくる「呻き」に人々が足を止める。

 次の瞬間、横断歩道を這いずる黒い塊。

 背から枝のような腕を伸ばし、ゆっくりと人混みの中に紛れ込んでいく。


 名古屋。

 高層ビルの外壁が盛り上がり、獣のような影がコンクリートの中を蠢く。

 ビルのガラスが内側から割れ、煙のようなものが人々の頭上を覆っていく。

 警報が鳴り響き、エレベーターに殺到する人々の悲鳴がこだまする。


 大阪の地下街。

 照明が一瞬だけ明滅し、その暗がりの中に何かが浮かんだ。


 ――目だった。

 巨大な目が、通路の天井に張り付き、すれ違う人間をじっと見下ろしていた。

 気づいた人が叫び、転倒し、連鎖的に人の波が崩れていく。


「な、なにあれ!?」

「でかい……虫!? いや、人……?」

「止まるなっ、逃げろ!!」


 新幹線の車内、座席の隙間に滑り込む黒い影が子供の足に触れ、泣き叫ぶ声が車両全体を包む。


 ショッピングモールでは吹き抜けの天井を破って異形が落下。

 一瞬で通路が瓦礫に埋まり、警備員が制止する間もなく、客たちは我先にと非常口に殺到する。

 人波に押され、悲鳴が混じり、携帯電話が床に散乱する。


 テレビは緊急報道に切り替わり、複数のニュース番組が同時に各地の混乱を伝え始める。


『現在、日本各地で黒い影のようなものや異形による被害が確認されています。画面は大阪駅構内からの——』

『いま渋谷では、画面奥に見えますでしょうか、あれは……あれは……一体』


 リポーターの声が震え、カメラが大きく揺れる。

 画面が切り替わると、次は横浜。

 ビル屋上で人を睨みつける何かが、空に向かって裂けるような咆哮を放っていた。


 SNSも炎上する。

「#これは何?」「#異形の正体」「#人じゃない」「#逃げろ」

 タグが無秩序に並び、どのプラットフォームもアクセス過多で断続的に落ちていく。


 ——そして、日本中が知る。

 この国は存亡の危機に立たされたことを。


 子供が泣き叫び、大人が悲鳴を上げる。

 戦いは、もはや裏側だけのものではない。

 誰もが知る現実になった。


 ◆◆◆


 午後8時。

 全てのテレビが、同じ映像に切り替わった。

 無音の数秒の後、厳かな表情の官房長官が画面に現れる。


 静かに、しかしはっきりとした口調で、言葉が紡がれた。


「国民の皆様に、ご報告があります。本日16時をもちまして——この国は、『今までの常識』が通用しない世界へと変わりました」


 その一言で、全国が凍りついた。


「現在、街中に出現している異形。あれは『くぐり』と呼ばれる存在で、数十年前より確認されてきたものです。しかしこれまでは、特殊な遺伝子を持つ一部の者——つまり、国家安全維持局の異能師たちにしか視認できない存在でした。ところが今日、突如として、全ての人間に見えるようになったのです」


 画面の下には、速報テロップが流れ続けている。

 官房長官の言葉は続く。


「この凶はここ数年でその数を増やし続け、我々は異能師の手によって、密かに対処してきました。——メタ粒子に関連する一連の不可解な事件。それらは全て、凶による影響でした。今まで真実を伏せていたこと、深くお詫び申し上げます」


 重い沈黙が数秒。

 そして語調が変わる。


「ここからは、お願いです。小型のものはともかく、人型の凶を見かけた場合——絶対に近づかないでください。決して戦おうとせず、すぐに警察に通報してください。大丈夫です。我々には、有能な異能師たちがいます。今までも、皆様の知らぬところで命を守ってきました。これからも、それは変わりません」


 ほんのわずか、官房長官の目がカメラの奥を見据える。


「ですから……どうか、パニックにならないでください。ただ——理解していただきたい。これまでの平和な日々は、本日をもって終了しました。それでも我々は、生きていかねばなりません。国民一人一人が手を取り合って、この危機を乗り越えなければなりません。以上となります」


 映像がフェードアウトする。

 数秒後、再びニュース映像と緊急速報が流れ始め、それは次の日もずっと続いた。

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