第30話 裏能祭⑤
「お、おい、何だ? どうしたんだ一体!?」
「何の騒ぎだ、これは??」
騒然とする会場内、ざわめきの中心で戸惑うのは、総理を筆頭とした閣僚たち。
分厚い眼鏡の財務大臣、禿げ上がった頭を手で押さえる防衛相、見るからに神経質そうな顔の官房長官……いずれもスーツの上に名札をつけた「いかにも」な面々だ。
「凶度3の凶が出現しました。——それも大量に。今まで観測された現象を遥かに超えてます」
淡々と説明するのは小値賀。今回の式典では、ゲストへの異能関連の解説を一手に担っていた。
「な、何だと!?」
「やばいじゃないか!!」
「おい、誰か護衛を呼べ!!」
「いや、もう逃げた方が早いぞ!?」
飛び上がるような勢いで席を立ち、右往左往しながら出口を探す閣僚たち。
足元がもつれて転びかけた経産相を、農林水産相が無理に引っ張ってさらに倒れそうになる始末。
「お待ちください!! 既に会場中に凶が出没してます!! 下手に動くのは危ないかと!」
小値賀の一喝に、ばっと一斉に動きが止まる。
「し、しかしだね、一刻も早くここから退避しないと……!」
「ご安心ください。今日は国中の特級異能師が集結してます。——そして、私も特級です。客席の学生たちの中にも強力な異能師がおります。絶対に皆様を守り抜きます」
真っ直ぐな声音に、閣僚たちは顔を見合わせる。
息をのみ、額の汗を拭いながら、ひとり、またひとりと席へ戻っていく。
「……頼んだぞ」
「ほんと、頼むぞ……!」
「我々じゃ何もできんからな……!」
重ねるように声が上がるその様子は、まるで祈るように。
彼らは小値賀の言葉にしがみつくようにして、再び椅子へと腰を下ろしていった。
◆◆◆
夜刀によって召喚された凶は、百体を超えていた。
異形たちの呻き声が天井に反響し、会場は不穏な空気に包まれる。
現場は混乱と恐怖に満ちていたが、それでも今日のこの場所には、国中から集められた特級異能師たちが控えている。
「右から一体接近中、援護頼む!」
「了解、焼き切る!」
凶の圧倒的な殺意と獣じみた動きに、異能師たちは一瞬の判断ミスすら許されない戦いを強いられていた。
「……エネるぎーたくサン……ごチソう……」
「きょウハぱーティか?」
「ぜンぶタベていイ?」
異形の口から漏れる、歪な片言の日本語。
人の言葉をなぞるようでいて、そこに人間的な思考や感情は感じられない。
意味が通じるようで通じない、狂った「なにか」がそこかしこにいた。
火炎の奔流が凶を包む。
苦悶のような声を上げながら、異形はのたうち、やがて崩れ落ちる。
その瞬間、肉体はぼたぼたと黒い液体となって溶け崩れ、残滓と化して床を汚していく。
一体倒すごとに、そこに新たな黒い染みが広がる。
舞台も、客席も、その残滓によってじわじわと染められていく。
まるで死そのものが跡を残しているようだった。
特級異能師たちは粛々と、一体ずつ確実に凶を討っていく。
しかし余りにも数が多い。時間が経つごとに、呼吸が重くなる。
「はは、やるね。もう少し粘るかと思ったんだけどな」
「……凶の無駄遣いになるんじゃないの? 俺には一体百万で売ってきたのに」
「全然無駄にはなっていない。あいつらは死んだら死んだで、いい養分になる。メタ粒子の濃度も大分上がってきただろう?」
「上がってきたどころか、そろそろ息苦しいレベルだっつーの。で、何を観察したいんだよ?」
「もうすぐ分かる。でもその前に——」
夜刀はゆっくりと席を立ち、ざわめく客席を見渡す。
その緑の眼差しは、何かを見つけた時の獣のように鋭く、喜悦に近い光を宿していた。
「……ちょっと面白そうなのを見つけた」
◆◆◆
客席は、生徒たちでごった返していた。
ここでは僕の能力は使えない。——巻き添えになる。
誰もいない場所を探して、僕はひたすら駆けた。
出くわした凶には、躊躇なく拳を叩き込む。
瑠璃先輩に叩き込まれた格闘術で動きを封じ、壁に叩きつけ、即座に能力で焼却する。
バチバチと音を立てて溶ける壁と床。
そして、その上から塗り重ねられるように広がっていく、黒い残滓。
戦いが続く中、わずかな静けさが訪れた瞬間だった。
僕は——それに、遭遇した。
ぞくり、と。
背筋を走るのは、ただの悪寒ではない。
本能が、全身の神経を総動員して警告してくる。
――逃げろ、と。
銀色の髪。
緑の瞳。
人の形をしているのに、人じゃないと確信できる。
視界に入れただけで、心が蝕まれていくような感覚。
凶じゃない。
深い闇のような何か。
「やあ、面白いね、君」
声音は静かで、澄んでいた。
見た目と同じく、清潔感すら漂う整った声。
けれど、その奥には、底の見えない禍々しさが渦巻いていた。
その場に釘付けになる。
声を出すどころか、息すらまともにできない。
体が、勝手に硬直していた。
ゆっくりと、それは近づいてくる。
軽やかに、静かに、獲物に手を伸ばすように。
「……ッ!!」
僕は無理やり硬直を振り払い、体を動かした。
考える前に、突っ込む。
タックルで床に押し倒す。——つもりだった。
だが、びくともしない。
細く華奢なその身体が、まるで岩のように動かない。
「……な……に……」
すぐに切り替える。
足を掴んだまま、床に手をつき能力を発動する。
「核熱爆散——!!」
何も、起きない。
能力が——発動しない!?
僕たちの周りを黒い霧のような気配が包み込んでいる。
「そんなに慌てるなよ」
穏やかな声。
緑の瞳が、真っ直ぐ僕を見下ろしていた。
「君は、なかなか面白そうだ。退屈しのぎにはなるかもしれない」
抑揚も感情もなく、ただ事実を述べるように。
それが余計に恐ろしかった。
まるで、僕の命なんてどうとでもなる、と言われたようで。
「今日は……そうだな。挨拶ってとこだ。本当のパーティーはこれから始まる。ゆっくり楽しんでくれ」
そう言って、それは背を向けた。
僕を何の脅威とも見なしていなかった。
膝が崩れる。
気づけばその場にへたり込み、体の奥にある芯のようなものが震えていた。




