第29話 裏能祭④
会場入り口。
すたすたと歩いてくる二人組に、警備員が声をかける。
筋肉質で長身、黒髪に白いものが混じる若い男と、銀髪に緑の瞳を持つ中性的な人物。
その姿はどこか非日常的で、近づいてくるだけで空気がわずかに揺れた。
「ここから先は立ち入り禁止だよ。身分証見せてくれるかな?」
黒髪の男は足を止め、面倒くさそうに答えた。
「え? 俺はゲストだけど。名簿に名前ない?」
「そ、それは失礼しました。お名前をお伺いしても?」
「白神と夜刀」
警備員は慌てて名簿を取り出し、確認へ向かおうとした――そのときだった。
「氷結制御」
白神は静かにそう呟いた。
12月の寒さをさらに突き抜ける、異質な冷気が一気に吹き出す。
辺りに漂っていた水分が、一瞬で白い霧を生み出し――そのすべてが、瞬時に凍りついた。
まるで時間が凍ったかのように、氷の刃が空間を満たし、警備員の体を飲み込む。
霜が肌に走ったと思った次の瞬間には、全身が白い氷に覆われていた。
そして音もなくひびが入り、粉々に砕け散る。
「殺すことはなかったんじゃないか?」
夜刀が、淡々とした口調で尋ねる。
「何言ってんの。これから起こることに巻き込まれるくらいなら、今のうちに楽になった方が彼の為だよ」
白神は砕けた氷の上を踏みしめて会場の奥へと歩いていく。
その足元で、氷の破片が乾いた音を立てた。
◆◆◆
「宙矢~!! 今年で卒業なんだから最後くらい本気出しなさい~!!」
隣でいきなり飛んだ大声にビクッとして横を見ると、いつの間にか瑠璃先輩が座っていた。
さっきまでそこにいた久遠寺さんの姿は見えない。
茶髪に大きなヘアアクセ、ノリと勢いで生きてる感じのギャル先輩。
目立ちすぎてて見逃すことなどあり得ないのに、いつ入れ替わったんだろ……。
「ほら、いずもっちも応援してあげて♪」
「え? いや僕ほとんど話したこともないですし……」
「いいからいいから♪」
ぐいぐい腕を押されてると、ちょうどそこへ久遠寺さんが戻ってきた。
「姉さん……そこ、私の席なんだけれど」
「いいじゃんいいじゃん、細かいこと気にしないで♪ 一年生が最前列ってずるいでしょ♪ 卒業するうちらに譲るべきよ〜♪」
「姉さんたちも一年生だった時は最前列だったはずでしょ」
二人の視線が交錯して、なんとも言えない静かな圧が流れる。
巻き込まれる前に、僕は慌てて間に割って入った。
「じゃ、じゃあ久遠寺さん僕の席に座って。僕は後ろで見てるんで」
「……そういう問題ではないのだけれど」
「分かった分かった♪ この宙矢だけここで見させて♪ 終わったらちゃんと戻るからっ♪」
久遠寺さんは小さくため息をついて、しぶしぶ了承した。
僕はふと思ったことを何気なく口にする。
「瑠璃先輩と宵宮先輩って、付き合ってるんですか?」
瞬間、瑠璃先輩がフリーズした。
「はっ!? え!? ちょっ、ななな、何言ってんの!? え!? マジ無理意味わかんないし!? え!? は!? 付き合ってないし!? だし!? マジで!?」
余裕の笑みが完全に吹き飛び、視線が泳ぎまくってる。
「い、いや、なんでもないです。気にしないでください」
そう言いながら、僕はそっと目を逸らした。
久遠寺さんは無言で口元だけ笑っていた。
「さあ、お次は高専5年生、今年で卒業を迎える実力者の登場だ!『電撃使い』の異名を持つ彼が、この裏能祭でどこまで進化を見せるのか――!」
照明が中央を照らす。
登場したのは、ぼさぼさの黒髪に寝癖がついたままの学生。
背は高いのに猫背気味で、肩を丸めてぼんやりと歩いてくるその姿は、まるでこれが自分の出番とも思っていないようだった。
「……宵宮先輩、やっぱり今日も寝起きみたいですね……」
「ちょっとアンタ、聞こえてんでしょー! 宙矢~~~!! 最後くらい本気出しなさーい!!」
隣でまたしても瑠璃先輩の大声が炸裂した。
手をぶんぶん振りながら、ヘアアクセまで揺れている。
その声に、宵宮先輩は一瞬だけ足を止めて、振り返るような素振りを見せた。
そして、ゆっくりと手を持ち上げる。
空気が変わった。
「――電撃制御」
バチッ。
乾いた音と同時に、空気中の圧力が急激に跳ね上がった。
耳鳴りのような静けさが一瞬だけ辺りを包み、そのあとで空気が揺れた。髪の毛がふっと逆立ち、肌にかすかな震えが走る。
バリバリバリバリッ!!
上空から眩い閃光が走り、轟音と共に雷が舞台中央に落ちた。
続けざまに、左右の金属板に向けて高圧電流がほとばしり、青白い稲妻が弧を描く。
空気が焼けるような匂いと共に、閃光が視界を染め上げた。
宵宮先輩は微動だにせず、ただぼけっと立っているだけ。
……え? なにこれ。
電気って、こんなふうに扱えるものなの?
見た目の気だるさと裏腹に、その力は桁違いだった。
僕はただ、圧倒されるように見つめていた。
この先輩、こんなに凄かったの?
「ふふ~ん♪ やればできんじゃん、あのバカ♪」
隣の席では、瑠璃先輩が満足そうに腕を組み、得意げな顔で宵宮先輩を見つめていた。
その横顔は、いつものギャルらしい軽さとは違って、どこか誇らしげで――何故かほんの少し、照れているようにも見えた。
司会の声が、いつになく真剣な響きを帯びて場内に響いた。
「さあ――いよいよラストです! 次が最後の異能師にして、この裏能祭の『真打』! 説明不要、実力はすでに伝説級! 誰もが知る、誰もが超えられない――特級を超えた最強の極級、嵯峨野雪舟!!」
一瞬の沈黙のあと、ざわめきが広がった。
誰もがその名を知っている。だが、そう何度も目にできる存在ではない。
会場の照明がゆっくりと落ちる。
やがて、淡い蒼白い光がステージに射し込む。
そこに立っていた。
いつからいたのか分からない。
音も気配もなく、まるで影が形を取ったかのように――そこに現れていた。
長身で、細身の男。
肌は青白く、目元の奥にひっそりと冷たい光が宿っている。
黒い衣服が空気を吸い込むように揺れ、周囲の空気までもが静まり返った。
笑わない。語らない。
その佇まいだけで、全員の呼吸が浅くなる。
強いというより、触れてはいけないような。
そんな本能的な拒絶すら引き起こすような、冷たい圧がそこにあった。
◆◆◆
観客席の隅。
人目を避けるように、静かに並んで座っている二人の姿。
白神と夜刀。
「じゃ、そろそろ始めるか」
銀髪の夜刀が、何気ない独り言のようにぽつりと呟いた。
「え? 嵯峨野は見ないの?」
白神が隣で首を傾げる。
「うん、前に見たし。彼に興味はない」
「……ま、俺も見飽きてるから別にいいけど」
――すると。
会場の中央――嵯峨野が立っていた舞台の空間に、何の前触れもなく「それ」は現れた。
黒い球体。
ただの影にも見えるそれは、まるで空間がくぼんだかのように、そこにあった。
音もなく、振動もなく、唐突に。
観客たちは誰も声を上げない。
ただ、何が起きているのか理解できず、ポカンと眺めていた。
その球体は、ゆっくりと、だが確実に膨らんでいく。
見るほどに胸がざわつく。理由もなく不快で、異常で、目を逸らしたくなる。
そして――
パンッ、と音を立てて弾けた。
禍々しい気配が、会場全体を舐め回すように広がっていく。
球体のあった場所から溢れだしたのは、人のような形をした何かだった。
皮膚のようなものはなく、骨のような関節が不自然に曲がっている。
目も口も、顔にあるはずのものが、どこにもない。
それは、まぎれもなく異形。
そして、次から次へと湧き出す。
影から、床から、空中から――人型の凶が、止めどなく現れてくる。
客席の一角で、ようやく悲鳴が上がった。
だが、誰もまだ信じることができない。
「何かが起きた」という現実を。
ただ、空気は確実に変わっていく。
ざわつきが恐怖に変わるまで、そう時間はかからない。
「さて、これで足りるかな?」
宴の始まり。
夜刀の緑の瞳が、ほんのわずかに細められ、妖しく光を放った。




