第2話 怪物が生まれた日
『昨日、渋谷区で発生した異臭騒ぎの続報です。警察からの発表によると、居合わせた国家戦略高専の生徒により事象は解決したものの、現場にはまだメタ粒子が残存しており、引き続き警戒が必要――』
テレビ画面に映るキャスターは落ち着いた声でニュースを伝えていた。
◆◆◆
内閣府立国家戦略高専は、東京23区から外れた郊外の小さな街にある。
周囲は小高い山に囲まれ、政府関連の謎の施設が点在しているという噂もある。
朝の七時、僕は最寄りの駅で久遠寺さんと待ち合わせ、電車に乗る。
都心とは逆方向の路線だから車内は空いていて、二人並んで座ることができた。
今日は、高専の推薦入試の日。
不謹慎だけど、こうして待ち合わせして遠出するのは、ちょっとしたデートみたいだ。僕は試験とは別の緊張感を覚えていた。
ちなみに、試験は学力テストもなければ、小論文や作文の課題すらないらしい。
先生も困惑していた。
電車を降り、バスに揺られ、学校に辿り着く。
そこにあったのは、見た目に何の変哲もない普通の校舎だった。
「な、何か普通っぽいね。内閣府直轄だから、もっと厳重な感じかと思ってた」
「そうね。外観は拍子抜けするくらい。でも、もしかしたら中がすごいことになってるのかも」
久遠寺さんは珍しくワクワクしているようだ。
僕たちは門を抜け、「試験会場はこちら」の張り紙に従って校舎内へ。
会場にはすでに二十人ほどが席に座っていた。
ほとんどが僕たちと同じく制服姿だが、金髪ヤンキー風の私服男子や、パーカー姿のギャルもいる。
推薦の基準が全く分からない……。
定刻の十時になると、試験官らしきおじさんが入室してくる。
「え~、みなさんこんにちは。今日の試験を担当する鈴木です」
ガヤガヤしていた会場が、一瞬にして静まり返る。
受験生たちの表情に緊張が走る。もちろん、僕も。
「まず最初にお伝えしておきます。今日の受験者は合計52名。そのうち、合格するのは恐らく半分くらいかな」
え? 半分しか受からないの?
予想以上に狭き門だ。ざわめきが広がる。
「え~、静かに。次に大事なことを言います」
再び、空気が張り詰める。
「今日の試験の内容は、合格した人も、不合格になった人も、決して誰にも話さないでください。君たちも今まで聞いたことが無いでしょう?」
それは確かに。先生も知らなかったし。
鈴木さんは一旦言葉を切り、コホンと咳払いをする。
そして、柔和な表情のまま、恐ろしいことを口にした。
「もし試験内容が漏れたと判明したら――その情報を話した人間を、国の力を使って徹底的に探します。必ず見つけ出します。見つけた後は……まぁ、あえて言いません。そこまでして探すのだから、言わなくても分かりますよね?」
空気が凍りついた。
「では、始めましょう。皆さん、ついてきてください」
鈴木さんに導かれ、僕たちが辿り着いたのは無機質な白いホールだった。
中央にはスキャン装置のような機械が並び、看護師のような格好の人たちが整然と座っている。
「では皆さん、椅子に座ってください。どこでも構いません」
僕は黙って椅子に座る。
久遠寺さんも隣に腰を下ろしたが、表情は少し強張っていた。
「皆さん座りましたね? では、最初の試験を行います」
鈴木さんが、穏やかに告げる。
「と言っても、血液を採取し、DNA検査をするだけです」
僕は向かいの女性に腕まくりを指示され、大人しく従う。
細い針が皮膚を貫き、チクリとした刺激が走る。微量の血液が、すうっと吸い上げられていった。
看護師さんが吸い上げた血液を透明なカプセルへと移す。
カプセルをスキャン装置の台に置くと、中の血液がゆっくりと回転し、青白い光が脈動し始めた。
「シグマコード活性率……きゅ、99%!?」
シグマコード? なんのことだろう?
看護師さんは驚愕の表情のまま、もう一度スキャンを回す。しかし、結果は変わらないようだ。
「……で、では次の試験場へ移動してください。右のドアを抜けると試験室があります。そこで待って試験官の指示に従ってください」
僕は言われたとおり右へ進む。
ちょうど同じタイミングで検査を終えた久遠寺さんと並んで歩き出す。
「シグマコードって言ってたよね? 何のことか分かる?」
「ううん、初めて聞いた。でも、見て」
そう言って久遠寺さんは後ろを振り返る。
「次の試験に進めない人たちもいるみたい」
僕もつられて振り返ると、肩を落としながら入口へ戻っていく受験者の姿がちらほらと見えた。
僕たちは「試験室」と書かれた紙が貼られた部屋の前に並べられた椅子に腰を下ろした。整然と並ぶ椅子の上には、緊張と静寂が漂っている。
すると、隣に座っていたジャージ姿の男子が、ニコニコと話しかけてきた。
「君たち、同じ学校なん?」
「え? う、うん、そうだけど……」
「ええなぁ。知ってる人おったら緊張もマシになるやろ? ワシは関西から昨日から泊まりで来たんやけど、電車もよう分からんし、めっちゃ心細かったわ。東京人って冷たいって聞いとるしなぁ」
茶色の寝癖まじりの髪に、大きな目。見るからに快活そうな少年。
「筆記試験も論文も無い言うから、体力テストでもあるんか思てジャージで来たんやけど……めっちゃ浮いとって恥ずいわ」
そう言って自分のジャージの袖を引っ張りながら、少年は恥ずかしそうに笑う。
「あ、自己紹介まだやったな。ワシは祇園龍馬や。あんたらは?」
「ぼ、僕は出雲崎透真で、こっちが久遠寺御影さん」
「久遠寺さん……めっちゃ別嬪さんやな。モデルとかやってはるん?」
「い、いえ、そういうのには興味ないから」
祇園くんはよほど心細かったのか、ぐいぐいと距離を詰めてくる。
その勢いに、さすがの久遠寺さんも少し引き気味だった。
「で、次の試験は何をやるんだろうね?」
前のめりに久遠寺さんへ距離を詰めようとする祇園くんを引き離すように、僕は話題を逸らした。
「さあ、なんやろな? さっきは血抜かれただけやけど、怖いわ~」
そう言って祇園くんは大げさに両腕で体を抱きしめ、ブルブルと震えてみせる。
そして、待つこと十五分。
試験室の前に座る僕らの前に、鈴木さんが現れる。
「皆さん、揃いましたね。君たちは一次試験通過です。おめでとう。次が最終試験になります」
静かながらも、はっきりとした声が響く。
「では、右の人から順番に五人ずつ中に入ってください」
促されるまま、五人ずつ試験室の中へ消えていく。
そして十分ほどすると、一人ずつバラバラと部屋から出てきて、次の五人が中へと入る。
「終わった人たちは、今朝の集合場所に戻って待っていてください」
鈴木さんの指示に従い、試験を終えた人たちは足早に去っていく。
そして、ついに僕たちの番が回ってきた。
緊張しながら足を踏み入れた試験室は薄暗かった。
まるで未来の研究施設のような雰囲気だ。
中央には大きなテーブルが置かれ、その上にはパソコンや見慣れない機械がずらりと並んでいる。
壁際には酸素カプセルのような装置が五台設置されていた。
モニターを凝視しているスーツ姿の三十代くらいの男性。
その隣に立つのは、白衣をまとった女性――さっきの人たちと同じ格好だ。
「では、皆さん腕まくりをして一列に並んでください」
看護師さんの指示に従い、僕たちは黙って並ぶ。
「なんや、注射打たれるんかいな……変なもん入ってへんやろな」
隣の祇園君が小声でぼやく。
「これから皆さんに特殊なナノ粒子を注入し、オプトジェネティクスの応用試験を実施します。シグマコードを刺激するだけで、人体に害はありませんのでご安心ください」
オプト……なんとか? ナノ粒子?
またしても聞き慣れない単語が飛び交う。僕たちは顔を見合わせたが、流れに身を任せるしかなかった。
一本の注射が、静かに腕へと刺さる。
「それでは、今から渡すヘルメットを装着し、目の前のカプセルに入ってください。中に入ったら、両脇の手すりを握り、じっとしていてください。五分ほどで終わります」
ヘルメットをかぶると、まるで実験動物にでもなったような気分だった。
僕は指示どおりにカプセルへと潜り込む。
静かに蓋が閉まる。
「では始めます。メタ粒子濃度30%。まずは赤色光から照射」
スーツの男性の声が、遠くから響く。
「……続いて青色光」
――ん?
何か、頭の奥がざわざわする。
「濃度50%まで上げます。3番が青色光に反応し始めました。光度を上げます」
青い光が強まるにつれ、体の内側から得体の知れない感情が噴き上がってくる。
――なんだ、これ?
怒り?
激しい怒りが、胸の奥から吹き上がる。
意味が分からない。ただ、ぶっ壊したい……何もかも……!!!
力が漲る。
腕に、拳に、今まで感じたことのないエネルギーが燃え上がるのを感じる。
――手すりが虹色に光り始めた。
鈍いオレンジの光が広がり、カプセル内を満たしていく。視界が歪む。
「さ、三番に緊急事態発生!! 緊急事態!! 中止しろ!! 電源を落とせ!!!」
試験官の叫び声が遠くで響く。
ゆっくりと蓋が開いた。
パキッ……ピシッ……という音と共に、焼けた鉄のような匂いが鼻を突く。
いつの間にか、僕の中で膨れ上がっていた怒りが消えていた。
◆◆◆
試験が終わり、受験生たちは帰路についた。
静まり返った校舎の会議室では、数名の職員が集まり、真剣な表情で言葉を交わしていた。
「出雲崎透真……ユリアノスなのは間違いないが、あれは規格外かもしれない」
「シグマコード活性率99%にオプトジェネティクスで、あの反応――」
「ポテンシャルは極級。危険すぎるが、喉から手が出るほど欲しい逸材だ」
「でも二度と、あの時のような失敗は許されないぞ」
その場にいた誰もが信じて疑わなかった。
――今日、この世界に怪物が誕生したことを。




