第17話 予兆
瞼の裏にぼんやりと光が差し込む。
ゆっくりと意識が浮かび上がり、薄暗い視界に柔らかな陽射しが滲む。
重い瞼を少しずつ開くと、無機質な天井が目に入った。
「お、目が覚めたか。今回は早かったな」
低く落ち着いた声が耳に届く。小値賀先生だ。
「ここは……?」
「施設の医務室だ。凶を焼き払ったあと、お前はまた気絶したんだ」
先生の言葉で、先ほどの戦闘の記憶がじわじわと蘇る。
「そ、そう言えばみんなは? 凶が大量に襲来してたはず――」
「ああ、大丈夫だ。殲滅した。昨日の模擬戦闘訓練の成果が早速出たようだな。ま、多少怪我したり、エネルギー吸われて疲労状態になった奴もいるが」
みんなが無事と聞き、胸をなでおろす。
窓の外を見ると、クラスメイトたちが忙しそうに掃除をしていた。
「凶度3を一匹倒しただけで気絶してどうする。先が思いやられるな」
いつの間にか傍に立っていた嵯峨野さんが、淡々と言い放つ。
入室した気配など微塵も感じなかった。
「す、すみません……」
「とはいえ――」
鋭い視線が和らぐ。
「暴走させずに終わらせたことは褒めてやる」
「ありがとうございます……」
嵯峨野さんは窓の外へ視線を移す。
遠くを見つめるその瞳は、どこか憂いを帯びているように思えた。
「能力を持って生まれたからには、凶と戦う義務がある。果たしてそれが、お前にとって良いことなのかは分からんがな」
ぽつりと呟かれたその言葉は、なぜか少し重く響いた。
「僕たちには『世界を守る』使命がある。入学式で一乗谷先輩が言ってました。最初は現実味のない言葉だったけど……今は違います。ようやく、その意味が分かってきました。だから、守ります。全て」
久遠寺さんと出会うまでの孤独な日々が頭をよぎる。
あの日、久遠寺さんに声を掛けてもらって全てが変わった。
祇園君や東雲君、仙崎さん。
先輩や先生――かけがえのない仲間たち。
絶対に失いたくない。
「……ふっ。あまり気負いすぎるなよ」
そう言い残し、嵯峨野さんは部屋を後にした。
そして。
「おう! 出雲崎!! 目ぇ覚めたか!?」
勢いよく扉が開き、耳に響くような大声が飛び込んでくる。
祇園君だった。
「お前が壁に押し付けて燃やした凶、人型の真っ黒なシミになって、洗っても全然汚れが落ちひんぞ! 何してくれてんねん!! めっちゃ不気味やぞ! 夜見たらチビってまうわ!!」
その後ろから東雲君が、呆れたように肩をすくめて続く。
「祇園の体にへばりついたゴキブリっぽいのを叩き落とした俺のジャージも黒いシミが取れないけどな……」
ぼそっと呟く声には、少し本気っぽい恨みが混じっていた。
◆◆◆
バスの車窓に夕暮れの光が差し込む。
茜色に染まった空が、遠くの山並みにゆっくりと沈んでいく。
窓ガラスにはオレンジ色の残光が映り、揺れる木々の影が流れていった。
バスが校門をくぐると、エンジン音が低く響く。
ゆっくりと停車し、扉が開く。
途端にどっと疲れが押し寄せた。
「よし、今日はもう寮に帰ってゆっくり休め。明日から本当の夏休みだ。実家に帰る者もそうでない者もいるだろうが、新学期にまた必ず元気な顔を見せろよ。では、解散!」
小値賀先生の言葉に、僕たちは適当に返事をしながらバラバラと寮へ向かい始める。
「透真君も実家に帰るでしょ?」
隣を歩く久遠寺さんが尋ねてきた。
その声はいつものように柔らかい。
「うん、一応……いつにするかはまだ決めてないけど」
「え? そうなの? 残って何するの?」
「嵯峨野さんから色々課題を渡されてて……。家の辺りだとメタ粒子の濃度が薄いから、今の僕のレベルだとなかなか異能を発動させられないし」
説明しながら、久遠寺さんの横顔をちらりと見る。
「久遠寺さんはいつ戻るの?」
「うん、家のこともあるし明日にでも帰ろうと思ってたけど……どうしようかな」
「家のこと?」
「お祭りとか地域のイベントがもう始まるから、私も挨拶回りに同行するの」
「あ、そういえば久遠寺さんのお父さんって……」
「そう、国会議員。姉があんなだから両親は私に跡を継がせるつもり」
あれ? お姉さんなんていたんだ。
初耳だった。
「そっか、久遠寺さんは将来、国会議員になるのか。久遠寺さんだったらこの国を良くしてくれそう」
「ふふ。その為には総理大臣くらいにはならないとダメだけど」
「……なんか、久遠寺さんだったらなれそうな気がする。すんなりイメージできちゃうし」
そう言うと、久遠寺さん一瞬、驚いたように目を見開いた。
「え? 本当に?」
そう呟いた次の瞬間――
久遠寺さんは小走りに駆け出し、くるりと振り返った。
「だったら……その時は、私の一番近くで透真君が支えてくれてたら嬉しいな」
夕陽に照らされたその頬は赤く染まって見えた。
そして、そのままダッシュで寮へと向かっていく。
茜色の空の下、後ろ姿が静かに遠ざかっていった。
◆◆◆
「どう思う? 今日のあれは」
校門を出て帰路につこうとする嵯峨野の背に向けて、小値賀は問いかけた。
沈む夕陽が二人の影を長く伸ばしている。
「まあ、偶然ってことはないでしょうね」
嵯峨野は足を止めることなく、淡々と答える。
「……白神か?」
「恐らくは。新たな極級の噂でも聞いて、確かめにでも来たんじゃないですかね」
吐き捨てるような口調だった。
小値賀は深く息をつく。
「はあ……。また面倒なことになりそうだな。凶度3を三体も同時に放り込んでくるなんて、厄介な協力者までいそうだしな。下手したら極級じゃねえか?」
眉間に皺を寄せ、苦々しく言う。
「ま、本格的にヤバくなる前に、俺が片付けときますよ。面倒ごとを残しておくつもりは無いんで」
そう言って、嵯峨野はまた歩き始める。
そして振り返ることなく、次第にその背は夕闇に溶け込んでいった。
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