第15話 襲来①
凶襲来の警報は、近くの川沿いまで響き渡った。
祇園と東雲は顔を見合わせる間もなく、宿舎に向かって駆け出す。
やがて、東雲が「広域視野」で現場を確認できる位置に到達。目を凝らして周囲を探る。
「……どこから来た!? さっきまでそんな気配無かったのに、まるで地面から湧いて出たみたいだ」
「数は?」
「黒い影……犬くらいのが1、2、3……10体以上。あと、人間くらいの大きさか、それ以上のが3体!」
「人間サイズ……まさか、凶度3ちゃうやろな!?」
「……わからない。でも、小値賀先生たちがもう戦ってる! 俺たちも急ごう!!」
息を切らしながら、祇園たちは宿舎前に辿り着く。
「先生、これドッキリとかちゃうやんな!?」
「んなわけあるか!! これだけの凶が一斉に襲ってくるなんて、聞いたこともねぇ!」
異形を蹴り飛ばしながら、小値賀が怒鳴る。
地面から、異様に巨大な目をした犬のような化物が、ぬらりと起き上がる。
影のように輪郭の定まらない凶たちも、あちこちで蠢き始めていた。
「噛まれるなよ! こいつらは、接触した相手のエネルギーを吸い取って、自分の力に変える。戦闘向きの異能じゃなくても、シグマコードを持ってるお前らの攻撃は効く! ただし、あの大型の三体には——絶対に近づくな!!」
ズルズルと、祇園の足元の影がうごめく。
次の瞬間、ゴキブリのような虫型の凶が、わらわらと這い出してきた。
「うわあああああああっ! きもっっっ!!」
祇園は全力でストンピング。
だが、踏み逃れた奴らが、ぞわぞわと脚を這い上ってくる。
「し、東雲っ!! こいつら、叩き潰してくれぇぇぇ!!」
必死に体を払いながら懇願すると、東雲は勢いよくジャージを脱ぎ、祇園に叩きつけるようにして虫型を振り払う。
——ぷす。
そのとき、祇園の首筋に小さな衝撃。何かが突き刺さった。
張りついた虫型の一体が、じゅるじゅるとエネルギーを吸い上げている。
力が抜けかけたが、祇園は気力を振り絞り、手のひらで——パン、とそれを叩き潰した。
黒い粘液が地面に滴り落ちる。
「……っはぁ、なんや、もう……最悪や……!」
肩で息をしながら、祇園はよろめく。
そして足元の影を踏みつける。歯を食いしばり、吠える。
「うおおおおおおおおぉァアアア!!」
その叫びに呼応するかのように、近くの生徒たちも勇気が湧く。
混乱の中に、少しずつ秩序が戻ってくる。周囲の生徒たちは、最初の恐怖から立ち直りつつあり、それぞれの力で凶に対応し始めていた。
しかし、混乱など眼中にないかのように、大型の三体は、宿舎裏の施設へ向けて、ゆっくりと歩み続けていた。
まるで——そこに「何か」があると知っていて、それを確実に踏みにじるために進んでいるかのように。
その様子に気づいた小値賀が、鋭く目を細める。
視線を逸らさず、隣で応戦していた東雲に声を飛ばす。
「東雲!! ここは頼んだぞ!! お前の能力で危ない場所を見定めろ!!」
その声には、怒号でも命令でもない、強い信頼だけが宿っていた。
東雲がうなずく。
即座に背を向け、小値賀は駆け出す。
その足取りは真っ直ぐ。向かう先は、宿舎脇の古びた物置小屋。
ガラリと扉を開け、中から目についた木刀をつかむ。
深く考える暇もなく、それを手に小値賀は人型凶を追って走り出した。
◆◆◆
「く、凶の襲来!? 僕たちも行かないと!!」
「まあ、落ち着け。やれるのか? 人が大勢いる場所で暴走したら、笑えないぞ」
慌てて駆け出そうとする僕を、嵯峨野さんが冷静な声で制した。
「私は先に行ってます! 透真君、待ってるから!」
久遠寺さんはそう言うと、すぐに扉の外へと駆け出していった。
「……異能ってのはな、ペットみたいなもんだ」
唐突な言葉に思わず振り向くと、嵯峨野さんは続けた。
「飼い主が怯えてたら、ペットもビビる。逆に楽しそうなら、つられてはしゃぐ。異能も同じだ。感情に引っ張られる。暴走するかもって不安があれば、本当に暴走する」
わかりやすい。
けど、ぐさりと刺さる。
「てことは、お前が自信を持っていれば、異能もそれに応える。ちゃんと制御できるようにできてんだよ」
——自信。
そうだ、それが僕には一番足りていなかった。
「お前の異能なんだ。なら、お前が一番の味方になってやれ。信じてやれなくて、どうすんだよ」
僕が異能を信じる。
そんな発想、なかった。
僕の自信の無さが、異能にも伝わっていたとしたら。
「行けるか?」
嵯峨野さんが、改めて問いかける。
今度は、まっすぐに。
「……はい。行けます!」
僕は一度、大きく息を吸い込んだ。
心臓の音を感じながら、前を向く。
そして、扉に手をかけ、勢いよく開けて外へと駆け出した。
そこにいたのは——
一体目。
肉が溶けかけたように垂れ下がり、骨が外へ突き出している異形。
あの廃団地にいたやつに、よく似ている。
二体目。
全身が闇の中で滲んでいて、輪郭が曖昧。影そのものが歩いているような姿。
三体目。
人間に酷似している。でも首が異常に長く、関節が逆方向に折れている。
ぞっとするほど静かに、こっちを見ていた。
廃団地のやつには、久遠寺さんと小値賀先生が二人で挑んでいる。
「このタイミングで、凶度3が三体。偶然とは思えねぇな」
背後から、嵯峨野さんの低い声。
そのすぐあとに、短く、鋭く。
「空間断裂」
——何が起こったのかわからなかった。
首の長い凶が、音もなく縦に裂けた。
一瞬遅れて、横にも裂ける。
そのまま、細かく、細かく、まるで目に見えない刃が何十本も同時に走ったように——。
肉も骨も、何もかもが寸断される。
サイコロ状の破片になって、ボトボトと地面に落ちていく。
音も、血も、悲鳴もない。
ただ黒い肉塊が、雨のように降り注ぎ、
そしてすぐに、黒い液体となって蒸発した。
……え?
今の、嵯峨野さんの能力?
いや、え? ちょっと待って、強すぎない……?
「よし、じゃお前の番だ」
ポン、と肩を叩かれる。
僕は息をのむ。
目の前にいるのは、影のような凶。
黒くぼやけた輪郭。その中で、ぎょろりと光る左右非対称の目だけがはっきり見える。
その目に見つめられた瞬間、背筋に、氷の針が這い上がってくるような感覚が走った。




